「やはり歳ですかの。最近忘れっぽくなったようじゃ」

「いいえ。初対面ですわ、おじいさま」

「おや、そうでしたか。ところでいったいどんなご用件で……」



背後からの光に金の瞳の瞳孔が細くなり、また目を細めて彼女はにこりと微笑んだ。



「ちょっと失礼」

「え……」



館長の横をすり抜けて、スークは居間へと足を踏み入れた。
スークはクラウドたちひとりひとりの顔を順番に見てゆき……最後に黄泉を見て、ますます妖しく微笑んだ。



「久しぶりね、黄泉。どうやらこの人たちとはずいぶん打ち解けたようだけど」

「……何の用だ、スーク」



黄泉はスークを鋭く睨め付けた。



「お言葉ね。あなたを始末にしに来たに決まってるじゃない。それから――――」

「……ウンディーネ、か?」

「ご名答」



がたん、と大きな音がした。
思わず目を向けると揃いも揃ってクラウドたちが立ち上がっていた。



「あいつを始末する?いったいどういうことだ」

「そうや!黄泉ならまだ理由はわかるけど……あいつが始末される理由なんてないはずやで!!」

「……あなたたち、ティムライトでメジストに会ったんでしょう?」



何か汚いものを見るような目をしてスークは言う。



「メジストがドレット様から与えられた命令は、"ティムライトの人間をすべて排除すること"。
……何者かによって連れ去られたことで王女はメジストの手から逃れたけれど、
ドレット様の命令は絶対だし、メジストは忠実よ。ウンディーネ王女は"必ず殺されなければならない"の」

「ウンディーネ、王女……!?」



突然のことに館長は目を見開いた。信じられないというような顔をして。



「あの子がティムライト王国の王女だった……?
いやしかし、あのお嬢さんがいったい何をしたというんじゃ!あんないい子を何故!」

「……煩いわね」



スークの顔から微笑みが消え、金色の瞳に残忍な光が宿る。
誰かが逃げろと叫んだ。だが館長は動かなかった。使命を全うしなければならないというような凛々しい顔をして。
しかし、彼のようなか弱い老人にいったい何ができるというのだ。



「っ、ぐぅ……」

「煩い蝿には少し黙っていてもらいましょう。邪魔になるわ」



館長の腹にめり込ませた拳をほどき、さてとスークはつぶやいた。



「メジストではなく、何故私が来たのかは説明してなかったわね。
単に言えば忙しいからよ。ルィサ王国に張っている結界を張り直さなければならないのだもの」

「……ある意味、あんたみたいな奴が来てよかったわよ。メジストよりいくらかは弱そうだわ」

「生意気ね。穢らわしい人間の血が混じってる半獣のくせして」



苦虫を噛み潰したような顔と軽蔑の視線を持ってスークはモモカを見た。
今にも反吐が出そうというようなといった感じである。



「どっちにしてもやらせないぜ。黄泉もウンディーネも殺させるか!」

「そうよ。二人ともあたしたちの大切な仲間なんだから!!」

「あらあら、美しいことね。黄泉、よかったじゃない。あなたよっぽど大切にされているようよ」

「……黙れ」



カチリ、と小さな音がした。時計の針の音ではない。両手の指に鉄爪を装備したのだ。



「お前が私の命を狙う限り、お前は敵だ」

「……そうね。おしゃべりもそろそろ終わりにしようかしら」



そう言うとごそごそとポケットをまさぐり、手のひらほどの小さな玉を取り出した。
そしてそれを振りかぶるとクラウドたちに向かって投げつけた。おびただしい量の煙が吹き出し、視界がふさがれる。



「な、なんだこれ!?煙幕!?」

「なんや戦う気まんまんやと思うたら逃げるんかい!」



違う、とクラウドは胸中でつぶやいた。逃げるための目くらましではない!
これは自分の攻撃を確実に当てるための常套手段。相手の得物はまだわからないが、恐らく遠距離系のものだろう。
となれば――――やることはひとつに決まっている。



「我紡ぎだしたるは光の鎧―――護れ!」



口早に文言を唱えてクラウドは目の前に手を突き出した。半透明のシャボン玉のようなものが彼を包む。
一瞬遅れて、何か金属製のものが当たる硬質な音が連続して聞こえた。足下を見ると、数本の鋭い針がそこに落ちていた。
なるほど、スークの武器はこの針というわけか。煙の向こうにぼんやり見える人影を睨め付け、彼はすらりと剣を抜いた。
敵は油断しているはずだ。視界を遮った状態で武器を投げつけたのだから、確実に仕留めたとでも思っているだろう。
こういう時こそが一撃を与えられるチャンスだ。クラウドは床を蹴った。


























































カミノウタ



第16話

−精霊操りし者−





























































もうもうとあがる煙を見て、スークはほくそ笑んだ。
黄泉の始末はさすがに無理だろうが他の邪魔な人間どもは仕留められたはずだ。
それにしても、黄泉と本気でぶつかりあうことなどなかったから新鮮だ。
風操力の威力をこの目で確かめるのは初めてだし、彼女の血を見られるかと思うと今から気分が浮かれてくる。
さて、そろそろ煙が晴れてくる頃だ。人間どもの醜態を楽しむとしよう――――

しかし突風のごとく突っ込んできた影にスークは身じろいだ。
素早く振るわれた剣の軌道をかろうじて避けたものの、勢いあまって床に転がる。
顔を上げると、そこにいたのは黒いバンダナを額に巻き付けている男だった。
手に握る細長い剣には血が滴っている。はっとして己の腕を見てみると、かすり傷ではあるが血が流れていた。



「よくあれをかわせたものね。人間にしては上出来だわ」



クラウドは血を払おうと剣を振るった。
振るったあとに人様の家だということに気付いたが、この際そんなことは言ってられない。
目の前の敵を止めなければ、隣の部屋にいるウンディーネの身が危ないのだ。
黄泉ももちろん危ういが彼女は自分でなんとかできるだけの力を持ち合わせている。
だがウンディーネはそうではない。到底、彼女だけの力ではこの獣人を倒せるとは思えない。
だから自分たちが止めなければならない。倒さなければならない!



「黄泉はともかく、あなたみたいな人間なら簡単に倒せると思ったのだけれどね」

「言ってくれるな……」



その時だった。背後から吹っ飛びそうになるほどの強風が吹いたのは。
吹き飛ばされたティーカップが床に落ち盛大な音を立てて割れ、一気に煙が晴れた。
言うまでもなく、この突風を引き起こしたのは――――



「こんな小細工、私に効くとでも思ったか」



窓も扉も閉まっているはずの部屋に風が吹き荒れる。
いつもは黒の輝きを持っている長い髪が、今はふわりと煌めく銀色。
漆黒の瞳を光らせ、黄泉は目の前の敵を睨め付けた。



「さすがと言いたいところだけど……大して役にも立たない仲間も助けるなんて、あなたも丸くなったものね」

「勘違いするな。結果的に助ける形になっただけだ」

「そう。変わっていないようで安心したわ」



アリヤたちを見やると戸惑ってはいるものの、無傷のようでクラウドは安堵の溜め息を吐き出した。
ついでという形とはいえ、黄泉が守ってくれたおかげだ。
黄泉の髪が変色しているのを見たアリヤは状況を理解したらしく、感極まって抱きつこうとしたが失敗に終わった。



「馬鹿が。少しは状況をわきまえろ」



スークから目を離さず黄泉は言う。
当の彼女といえば目に宿る残忍な光はそのままに、薄い笑みを浮かべていた。



「黄泉。あいつの得物は針とみていいか?」

「……そうだな。そう解釈しても問題ない」

「ということは……」



ちゃき、と剣が鳴る。



「懐に飛び込めば有利になるな!」



風を切る勢いでクラウドは走り出した。
彼の行動はある程度予想できていたのか、スークは針を構え狙いを研ぎ澄ませる。ひゅっと小さな音がした。
しかし、クラウドはその針をギリギリの距離で避けることに成功した。
そのまま懐に踏み込み、剣を振るおうとするが―――



「っ!?」



頬に何かが伝う感触と鋭い痛みを覚えてクラウドは後ろに跳び退った。
手をやってみると、指先にぬるりとした感触を覚えた。言うまでもない、血だ。



「信じられないって顔をしてるわね。
そうよね、あなたは私の針を完璧に避けていたもの。そんな顔をするのも当然だわ」

「何をした?」

「たいしたことはしていないわ」



スークが取り出した針にクラウドは目を凝らした。針のまわりを風が包んでいる?



「見えたみたいね」

「補助魔法か?」

「違うわ。あなた、精霊って知ってるかしら?」

「精霊……」



もちろん知っている。この世の四大元素、火・水・風・土を司る存在だ。
最近ではそんなものは存在しないと言い出す輩もいるが……。



「この針には風の精霊が宿っているわ。
針自体は避けても、私の精霊が許さない。あなたたちは確実に傷つくのよ!」



精霊を携えて針が飛ぶ。クラウドは舌打ちし、先程の補助魔法を唱えた。針は彼に届くことはなく直前で地に落ちる。
今は防げても魔法力がなくなってしまえば打つ手はない。だが彼が敗れてもまだ黄泉がいる。
黄泉がスークを倒してくれれば、とりあえずウンディーネの身は守られるだろう。
その場合、彼は無事でいられるかわからないが。



「魔法を使えたのね。剣を振るうしか能がないと思っていたけれど」

「見た目だけで人を判断すると後々苦労するぞ」

「ご忠告どうも」

「……黄泉、援護を頼む」



針は休むことなく飛んでくる。
繰り返されるいたちごっこにうんざりしながら、クラウドは剣を構えて走り出した。
直前で弾かれる針を傍目に目指すは―――

背後で風が起こり、背中を後押しされた。これならいけるはずだ。
彼は左手で印を結び、口早に文言を唱えた。



「また結界?進歩がないわね」



スークは針を構えた。あの結界はそう強いものではないだろう。



「そんなもの、これで打ち消してあげるわ!」



向かい風にも関わらず針は真っ直ぐに飛んでいく。これも精霊の力か。
正確な狙いをつけた針はクラウドの身体を深く突き刺した。



「結界張ったんやなかったんか!?」

「ありゃやばいって。すぐに手当てしねえと……」

「その必要はない。よく見てみろ」



ゆらり、とクラウドの身体が煙のように揺れ、やがて針が金属音とともに落下した。スークが目を見張る。



「今の針、魔力を打ち消す類のものか」



声の発生源はスークの背後。
急いで振り返るものの、首元には既に切っ先があてがわれていた。



「さっきの詠唱は……」

「幻を――というか、分身を出現させる魔法だ」

「なるほど。私の目をくらませたあと、素早く背後に回ったというわけ。やられたわ」

「スピードには自信がある。……けど、あれをまともに喰らっていたらやばかったな」



じんわりと血が滲む。クラウドの肩には二本ほどの針が突き刺さっていた。
さすがに笑ってはいられず、彼は苦痛を露呈させた。



「私も堕ちたものね。こんな子ども騙しにひっかかるなんて」



自嘲的にスークは微笑む。



「いいわ。ひと思いに殺して頂戴」

「………いや、駄目だ」

「なんですって?」

「二度と俺たちの前に現れるな。それだけでいい」

「あなた、馬鹿?私はあなたとの殺し合いに負けたのよ。生きる権利はないわ」

「スークの言う通りだ。私たちの世界ではそれが常識になっている」

「…………」



クラウドは動かなかった。
やがてスークは吹き出し、大笑いを始めた。鬼の首を取ったかのようだった。



「そう、そうなの。わかったわ!あなた、人を殺すのが怖いのね?」

「そうじゃない。無駄な血を流す必要は……」

「臆病者の言い訳よ、常套句よそんなもの。人殺しもろくにできないなんて!」



嘲られつつも、無言でクラウドは剣を下ろした。



「行けよ。お前は負けたんだ」

「ええそうね。でも……」



何かが擦れる音がした。



「それは私の仕事が終わってからにするわ!」



気付いた時にはもう遅かった。
鞘から解放されたナイフは既にクラウドの腹を深く切り裂いていた。
乾いた音とともに手から剣が滑り落ち、そして彼の喉が叫びにならない言葉を迸らせる。



「クラウド!!」

「油断したわね。あなたもしょせん、その程度の人間だったというわけだわ」



血が噴き出る。流れ出す。厚い絨毯を真っ赤に染めてゆく。
ぎりり、とクラウドは歯ぎしりし、床に膝をついた。鋭い痛みが、燃えるような熱さが彼を襲う。
魔法詠唱には精神の集中が必要だ。深い傷を負った今の状態では回復魔法を唱えるなど到底できそうもない。
アリヤとヘビス、そしてモモカは互いに頷いた。これ以上、黙って見ていられるわけがない!



「てめえ、黙ってれば好き勝手やりやがって!もう許さねえ!」

「だいたい卑怯やで!一度剣を下ろした相手に攻撃するなんてどういう神経しとんねん!!」

「あなたたちもこれから私を攻撃するんでしょう?多勢に無勢ではないかしら」

「うるさいわね。あんただって卑怯なんだからおあいこよ!」



勢いよく走り出した三人を見て、スークはナイフを腰に携えている鞘に納め両手に針を構えた。
右手に三本、左手に三本。計六本の針が空気を裂いて彼らを襲う。
一本がアリヤの頬を、一本がモモカの肩を掠める。背後で悲鳴があがったのに気がついて、思わず二人は振り向いた。



「ヘビス!」



残りの四本がヘビスの身体を直撃していた。肩に、腕に、そして足に。
刺さる痛みを堪え立ち上がろうとするものの、彼の身体は言うことを聞こうとしなかった。



「んなっ…いったいなんやね……」

「念のためにツボを突かせてもらったわ。しばらくは動けないわよ」

「……くっ、そぉ!」

「いいわよヘビス。もともとあんたに期待はしてなかったもの」

「そうだぜ。お前はそこでオレらの勇姿でも見てろ!」



二人は再び駆け出した。
最初にモモカが跳び上がり、旋回しつつ回し蹴りを叩き込む。
目にもとまらぬスピードで繰り出されたはずのそれは簡単に避けられてしまい、
着地して無防備になったところへ針が飛んだ。腕を交差させてとっさに防御したものの、何本もの針が突き刺さる。
とどめを刺してやろうと次の針を取り出し、にやりと口元を歪めたスークの腕に素早く鞭が巻き付いた。
驚くのも束の間。次の瞬間には宙へと投げ出され、壁に叩き付けられるところだった。



「人間なめんじゃねえぞ!」

「甘いわね」



投げ出された勢いを逆に利用し、とんっ、と壁に地面のように軽やかに着地。
さすがは獣人といったところか。その動きは驚くほどしなやかで、ひとかけらの無駄も感じさせない。
アリヤはその姿に一瞬手を止めたものの、壁を蹴る音に我に返り、素早く鞭を振るう。
それと時を同じくして――――無数の針が空を切り裂いた。


























































我は求める その力
我は欲する 汝の力


火が途絶えぬように
水が流れ続けるように
風が止まらぬように
土が在り続けるように


悠久に 永久に
我は祈る 願う 求め続ける
誰も忘れないように


"同調司りし獣"よ

汝 我のもとに姿をあらわすべし


そして契約を 森羅万象の契りを


"同調司りし獣"――――ルム














魔力が廻る、弾ける。
光が爆発するような感触。

やがて落ち着いた光は何かの形を象りはじめた。ネルーが身を乗りだしたが、アルが押し留めた。
まだ駄目だと、危険だというように。やがて純白の光は去り、現世に残されたのは―――



「これ…が、召喚獣?」



ネルーがおそるおそる指差し、アルの顔色を窺った。彼は頷いた。
だがこれは、獣といってもいいのかどうか……。ルムの姿を一言で形容すれば、真っ黒な毛玉だ。
もしゃもしゃとした黒い毛に丸く小さな体。今は健やかな寝息をたてて、すっかり眠りこけている。



「大丈夫?」

「………な、なんとか」



重い頭を振り振り、彼女は答えた。そして足元の毛玉に気づくと、不思議そうにぱちぱち瞬いた。



「もっとゴツイのを想像してたかい?ルムは喚び出し主とシンクロするからね。とりあえず今はこういう姿みたいだ」

「ルム……」



つぶやいて、ウンディーネは小さなルムをすくい上げた。



「どんな気分?」

「どんなって…ぼーっとして……」

「なるほど。それで寝てるわけだ」



疑問符を浮かべてみせる彼女の様子を察して、アルは微笑んだ。



「ルムは召喚者と感情を共有し姿を変えるっていうけど、今は感情といえるような感情がないからね」

「そっか……」

「……ねえ、記憶は戻ったの?」



堪えきれなくなったかのようにネルーが問うた。
手の中のルムを撫でていたウンディーネは弾かれたように顔を上げ、困惑の色を強くした。



「まさか……何も思い出せてないの?」

「……う、うん」

「そんな…大魔法を使えば記憶は戻るんじゃ……」



彼女は答えられなかった。
その時だった。静寂を破る笑い声が聞こえたのは。



「な、なに?」

「居間からの声だ」

「モモカ、かな……?」



やがて誰かが何か……人の名前のような言葉を叫ぶのが聞こえた。何やら切迫した響きである。
ウンディーネは混乱していた。大魔法を使えば記憶が戻ると思っていたのに効果はない。
これだけのことをやりとげたというのに達成感もない。いったい自分はどうしてしまったというのか。



「……とりあえず大魔法は成功したんだし、みんなに報告しようか」

「そうだね。その方がいいと思う」



ネルーの言葉にアルも頷いた。
同意も得られたことだし、彼女は手の中で未だ眠るルムをそのままにドアノブに手をかけた。






彼女の目が最初に見たもの。
それは身体に無数の針が刺さり、床に叩き付けられる寸前のアリヤの姿。



「アリヤ!?」



だんっ、という鈍い音。
倒れるアリヤにネルーが駆け寄った。身体中のツボを突かれたのか、彼は指一本さえも動かせないようだった。

次に見えたのは、やはり床に倒れているヘビスとモモカ。そして玄関近くでぐったりしている、館長の姿だった。
ふわり、と彼女の髪が風に揺られた。傍らをアルが走り過ぎたからだ。爺さん、と大きく叫ぶ声。

最後に目に入ったのは、静かに佇む見知らぬ獣人と。



「……クラウド?」



四人と同じように地に伏し、そして厚い絨毯に真っ赤な血を滲ませている―――クラウド。
彼女のぽつりとしたつぶやきに気付いたのか、クラウドは僅かに顔をあげた。その途端目が見開かれ、彼は顔を歪めた。



「ウンディーネ、逃げろ!!こいつはお前を殺――」

「煩いわ」



ぐりり、とクラウドの身体が踏みにじられる。
アリヤの傍らにいたネルーが顔をあげて何事かを抗議したようだったが、それもスークの針によって遮られた。
ネルーの抗議もアルの声も通り過ぎてしまったのに、何故かクラウドの叫びだけは。
ぐるぐると、ぐるぐると彼女の頭の中を回りつづける。




目に飛び込んでくる赤いもの
鼻につく嫌な匂い
心の中で反響する彼の叫び



痛い――――イタイいたいイタイ。

彼女は頭を抱えた。手の中のいるルムの存在も忘れて。
頭の中で音がする。人の声。街の喧噪。大きく脈打つ心臓の音。

回る。廻る。まわる。ぐるぐるぐる。
何が回っているのだろう。この家?彼女自身?それとも頭の中か。
回転も、痛みもやまない彼女の頭。ぐるぐるぐると記憶が巡る。






























「私の愛しき娘よ。お前はまだ、この国の行く先などまだ考えなくても良いのだ」


「ウンディーネは本当に本が好きね。きっと魔法もすぐに上手くなるわ」


「こらこら。僕の研究室に入ってはいけないよ」




愛しき懐かしき家族の声。飽くことなく浸れる心地良い平穏。
それをいとも容易く破壊した火急の報せ。




「陛下!お妃様が昏倒されました!」


「もう…手遅れだ。お前たちも別れをすませるが良い……」


「あなたが…信ずる、道を……生きなさい………」


「お母さま!」




消えてゆく命の灯火。力の抜けてゆく手。ぼやける視界。
あんなに大きかったはずの父の背中は、日々を重ねるごとに小さくなってゆく。




「我が最愛の妻よ……」




記憶は巡る。
窓の外には舞い散る桜の花びら。
ひとつの小さな出会い。




「彼はクラウド・ルーベメルだ。お前も名前だけは聞いたことがあるだろう」


「数百年も前から続く、騎士の名家……」


「そうだ。クラウドはそのルーベメル家の長男。今日からお前の護衛につくこととなった。仲良くするようにな」


「はい、父さま」




目の前には自分とはさほど変わらぬ年齢の少年。
その印象的な瑠璃色の瞳の奥には、どこか自嘲にも似た感情が眠っていて。
それと同時に、強い強い"何か"も眠っていた。
























何してる、逃げるんだ!早く――――

























巡る。巡る。巡る。記憶は巡る。
穏やかに、なんとなしに寂しそうに微笑んでみせる兄。




「お父さまは最近元気がないだろう?だから、この研究で最後にしようと思うんだ」




そう告げて、研究室の扉の向こうに姿を消して。
兄である彼の姿を見たのはそれで最後。




「なんというお姿に……!」


「このような姿、とても民たちには見せられませぬ」


「おおアメットよ、お前までも私を置いてゆこうというのか!」




"呪われている。"
口には出しはしなかったものの、従者たちは影でそう囁き合った。
やがて心労に父が臥せた。自分が国を治めるのも遠くない将来なのだ、と彼女は知った。
そうして季節は巡り。窓の外には爽やかな風が吹き。
























「こんばんは」




動きはじめる、時。

























戸惑いが続く船上での生活。思いがけぬ再会。大切な仲間。
暖かく優しい平穏を破壊するために、"それ"はいつも突然に訪れる。









「許さない…許さない!!!どうしてこんなこと!!!」


「別に許してもらおうなんて思ってない。すべてはドレット様のためだもの」








滅びたふるさと。愛しき父も兄も民も、みな闇の中へ。
憎らしは目の前に佇む魔術師。其は我からすべてを奪おうとせせら笑うか。









「クラウド!!」


「これ、くらい…大丈夫だ。それ、より…、怪我は、ないか?」







流される血。
嗚呼、愛しき彼の顔は痛みに歪み。









「……もう、いいんだからね」







私はあなたに自由な道を選ばせたい。
私を守ることだけにこだわってちゃいけない。あなたにはあなたの道を歩んでほしい。


だから――――そう、サヨナラ





























「ウンディーネ!!!」






























――――ああ、そうか

わたしは




















































「ほんと人間ってちっぽけね。そうは思わない、黄泉?」

「あいにく私も人間なのでな」

「何言ってるの。ドレット様と契約を結んだ時点で、もう人間ではないわ」

「っ、どうして……こんなことを!」



館長をその腕に抱いたままアルは叫ぶ。その顔は明らかな怒気に彩られている。



「どうして?決まっているじゃない。主の命令だからよ」

「命令だから、って……」

「私たちにとって主は絶対の存在。逆らうことは許されない。
いたずらに逆らえば終わりよ。日の目を見ることなんて二度と敵わないわ。死ぬよりもつらいことが待っているの」



信じられないとばかりに、金魚のごとくアルの口がぱくぱくと開閉する。
やっと絞り出した言葉は"狂っている"という一言だけ。スークはそれさえも笑い飛ばした。



「己の価値観だけがすべてと思わないことね。……まあいいわ、どうせ戯れ言よね」



陽の光に針がきらりと煌めく。スークがそれを振りかぶり、アルがぎゅっと目を伏せたその時だった。



「――――やめて」



ぼんやりとした頭をもたげて、クラウドは頭を抱え両膝をついているウンディーネの方を見やった。
だが、だらりと頭を垂れているため表情は読めなかった。その顔は悲哀に沈んでいるのか、怒濤に染まっているのか。
スークは針を構える腕を下ろし、ようやくウンディーネを見た。



「そういえば……私の仕事にはあなたの始末も含まれていたわね」



靴音を響かせて、ゆっくりとスークは彼女に近づいた。



「あなたがウンディーネ王女ね?話には聞いていたけれど……」



スークは彼女の白い頬を撫で、顔を覗き込んだ。獣の目がすうっと細まる。
彼はといえば、今からでも獣人の背中を叩き斬ってやりたいというのに――――
腹の傷のせいで立ち上がることもできず、身体に力が入らない。



「本当に綺麗な子。殺すのはもったいないくらいね」



しかしウンディーネの目は真っ直ぐだった。
スークの瞳から目をそらすこともなく、ただただ真っ直ぐに。



「でも、ドレット様直々の命令だもの。あなたには……」



細い腰に携えられたナイフに伸びる、手。



「死んでもらうわ!!」

「逃げろ、ウンディーネ!!!」



ナイフが振り上げられた。ウンディーネは動かなかった。
空気を切って刃先が振り下ろされる。それでもウンディーネは動かなかった。



刹那。



触手のような、何か異形のモノがスークの手首を掴んだ。
驚愕したスークは力を保つことを怠り、その結果ナイフを手から滑り落とした。
しかしそれには構わず、間違いなく殺せていたはずの少女に目を向け―――目を見張った。



「なんっ…!?」

「"同調司りし獣、ルム。召喚者と心を共有し感情によってその姿を変化させる。
よって召喚者が激しい感情を持てば持つほど、敵を憎めば憎むほどルムは進化を遂げる。
召喚者次第で人畜無害の生き物にも、凶悪な化け物にもなりえる召喚獣である。"
……私が今、どんな感情を抱いているかあなたにわかるかしら?」



ウンディーネは顔を上げ、ゆっくりと立ち上がった。



「――――怒り。それから、憎悪よ」



その細い右腕には姿を豹変させたルムが融合し、生ける刃として命を刻んでいた。
























































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あとがき

大魔法が成功した16話でした。
とりあえずクラウドが一番重傷なわけですが、結構平気そうですね。
そろそろ出血多量で死んでしまいそうな気もするんですが。
右腕をルムと融合させたウンディーネですが、さてどうやって戦うんでしょうか。

ではまた次回に。