「……そうか、見つかったんだな」
「うん」
がやがやとした夕食時。ウンディーネとクラウドは肩を並べて食事を取っていた。
ウンディーネは最初は戸惑ったものの、すぐに慣れた。記憶を失くす前もこうしていたらしいし、
何より彼と話していると不思議と落ち着いた気分になったからだ。
しかし今日は少しだけ、ほんの少しだけドギマギしていた。この前の夜のことがあったからだった。
「それで、どんな大魔法を使うか決まったのか?」
「ううん、まだ。これから読もうと思って」
「そうか。不謹慎かもしれないけど、修得できたら俺にも本を貸してくれないか?」
「いいけど……クラウドもやるの?」
「ああ。知識は多いに越したことはない。……力もな」
そう言って、クラウドは口に虹鱗魚のスープを運んだ。船乗りの間では最も一般的で、ダシの効いた美味しいスープだ。
ウンディーネは内心首を傾げていた。前々から疑問に思っていたことがあったのだ。
「あの、クラウド」
「ん?」
「どうしてそこまで強くなりたいの?」
「………」
「あっ、ス、スープのおかわり行ってこようかな!?」
「オ、オレもオレも!」
まわりで聞き耳を立てていた船員たちを睨め付けて、クラウドは溜め息を吐いた。
一方鈍感であるウンディーネはきょとんとするばかり。
もうひとつおまけにぐるりと周囲を睨め付けて、ようやく彼は口を開いた。
「お前を守るためだ」
「……そこまでして守られる価値、私にあるのかな」
「約束したから」
「約束?」
「そうだ」
「どんな約束をしたの?」
「それは、――――……」
言いかけて、立ち上がった。
「……俺も、おかわりしてくる」
彼もまたスープ皿を手に取り、行ってしまった。
結果的に彼女はそこに取り残され、少しばかりの孤独感を味わうことになった。
おそらくこれ以上の追求は許されない。記憶についての追求を許されるのは極々稀だ。
ウンディーネは誰にも気付かれぬよう、小さく溜め息を吐いた。わがままなのはわかっている。
もう少しの辛抱で、自分の努力次第で記憶は戻る。わかっている。
自分だけではない、彼らもつらい思いをしている。それもわかっている。
わかっているけれど。
スープを飲みながら、彼女は考える。本当に記憶は戻るのだろうか。
大魔法を使い、脳に大きなショックを与えれば記憶は戻るという。しかしそれはベンの推測でしかない。
故にそれは断定ではなく、単なる予想にしか過ぎない。だから彼女は不安なのだ。
「あれ、なんや深刻な顔しよってからに。何ぞあったんか?」
そこにへビスが通りかかった。
空のスープ皿を手にしていることから、彼もおかわりをもらいにいくところのようだ。
どうやら今夜のスープは好評らしい。
「あ、ううん。別に……」
「……あんまり、ひとりで抱え込まん方がええんやないか?
悩みっていうのは誰かに話した方が吹っ切れるもんや。その様子だと、まあたクラウドが冷たくしたんやな?」
「べ、別にそんなことないよ。本当に、大丈夫だから」
「ほんまかいな?あいつどえらい冷たいやろー。わいだってこの前―――っと!」
クラウドが戻ってきたのに気付いて、へビスはばつが悪そうに笑った。
おまけに会話の内容も少し聞かれていたようなので尚更だ。
「悪かったな、どうせ俺は冷たい奴だよ」
「い、いや、すまんすまん!そういうつもりやなかったんやって!」
「どうだか。明らかにおもしろがってただろ」
「ほんまにちゃうんやって!わいはただウンディーネを元気づけようと思って……」
「へビス、スープが無くなるぞ」
「へ?」
言われて振り返ったへビスの目に入ったのはスープ鍋の前に並ぶ行列。
長蛇とはいかなくても、それは彼を焦らせるのに十分。挨拶もそこそこに、彼は飛ぶような速さですっ飛んでいった。
たかだかスープ一杯にそこまでせずとも、と思えるくらいのスピードだ。
……スープ鍋に人が群がっているのはクラウドの睨みがだいたいの原因なのだが。
クラウドは無言で席に着き、スープをすすりはじめた。
特に会話もなく、黙々と食事は進んでいく。周囲は賑やかなのにかちゃかちゃと響く食器の音がやけに耳に障る。
ちら、と横目でクラウドの様子を伺ってみた。相変わらずの無表情だ。いったい何を考えているのやら。
本日二回目の溜め息を胸中で吐いて、彼女もまたスープをすすった。美味である。
しかしいまいちわからない。過去の自分はどうして彼に好意を抱いたのだろうか。
こんなぶっきらぼうで根暗な男など誰が好き好んで――――いや、これはさすがに失礼だ。
とうとう気まずい雰囲気に我慢がならなくなって、ウンディーネは口を開いた。
「あっ、あのね、クラウド」
「なんだ?」
返事だけでこちらを見ようともしない。
文句のひとつでも浴びせてやろうかと思ったが、ぐっとこらえた。彼だって血の流れる人間のはずだ。
「えーっと、その……ア、アリヤさんって、黄泉さんのことすごく好きみたいだよね」
「ああ」
「綺麗な人だし、いや、顔上半分しかわからないから本当かどうなのかわからないけど。
って、こんなこと言ったらいくらなんでも失礼だよね。アリヤさんに怒られちゃうかな」
「そうだな」
………。会話が終わってしまった。
話しを繋げていくとかそういう芸当くらいできないのかこの男。
「え、えーっと、その、それでね!アリヤさんってどうして黄泉さんのこと好きなんだろう?
黄泉さんってあんまり人と話したりするのは好きじゃないみたいだし、……なんだか、少し怖いし」
「そっちの方が失礼だろ」
「あ、そ、そうだね。失礼だよね。あ、あははははは…は……」
はあぁ、と大きな溜め息をこらえるかわりに、ウンディーネは眉間に少しだけしわを寄せた。
何が"彼と話していると不思議と落ち着いた気分になった"、だ。落ち着くどころか気まずくてしょうがない。
まあこれも自分が余計な口をきいたせいなのだけれども、それでもここまで気まずくなることはないではないか。
誰が誰に好意を抱いているかなどと今の彼女にとってはどうでもいいことなので、ウンディーネは話題を変えることにした。
「えぇ、っと……話題変わっちゃうんだけど、あのね、今日図書館で嫌な人に会って……」
「嫌な人?」
クラウドはやはりこちらを向いてはくれない。
少々いらつきながらも、ウンディーネは喋ることを続けた。
「大量の本の中から少ししかない本を探すなんて、時間の無駄だって。君なら男のひとりやふたり余裕で囲えるって」
「……解せないな」
「うん。人を小馬鹿にしたような態度で、すごく腹が立って。だから少しだけ脅してみたの」
「?棍でも向けたのか?」
そこで初めて、クラウドがようやくこちらを向いた。
「男の足下に、火の玉をぶつけたの。そうしたら真っ青になって逃げてったわ」
「お前……?」
「……魔法の使い方。いろいろ魔法書を読んだおかげで、なんとなく思い出せたの」
一瞬の間をおいて、
「そうか」
彼は穏やかに微笑んだ。
それは彼女からしてみればまったくの不意打ちで、悪く言えば闇討ちされたようなもので。
動揺を必死に押し殺しながら、ウンディーネはやっとのことで短い返事を返した。
――――本当に、いったい何を考えているのか。
一瞬、胸を締め付けたものの正体を敢えて考えないようにしながら
彼女は直接耳に届く鼓動を落ち着かせようと水を一杯飲み干し、氷を噛み砕いた。
カミノウタ
第14話
−夢と現実のはざま−
「なっ、なんや?話しって……」
照れ照れとあさっての方向を見つつ、へビスは問うた。今彼の頭は半分驚きと半分期待で構成されている。
いつになく神妙な顔をしているモモカを目の前に、否応なしに彼の期待は高まりつつあった。
突然で驚いたけれど、きっと彼女は自分の気持ちに答える気になってくれたに違いない。
「……そうね、単刀直入に言うわよ」
「お、おう」
へビスは身構えた。嗚呼、この時が来るのをどれほど待ち侘びたことか。
「ウンディーネが過去を知りたがってるわ」
「………………はい?」
あんぐりと、自分ながら間抜けだと思えるほどに口が開いた。
あまりにも予想外のことに思考停止してしまったへビスを違う意味で捉えたのか、モモカはそのまま話を続けた。
「あぁ、違う。あの子が過去を知りたがってるのは当然のことなんだから、今のはおかしいわよね。
なんていうか……そうね、どうして禁呪文を使ったのか、知りたがってるみたいなのよ」
「な、なんでそんな……?」
未だ衝撃の残る頭でへビスが問うた。しかし彼女は横に首を振る。
「よくわからないのよ。夕食の時もクラウドに何か聞いてるみたいだったし……」
「ああ、それで……」
ひどく思い詰めた表情を浮かべていた理由がようやくわかった。
と、ある疑問が浮かんだので、ヘビスはそれを率直に口に出した。彼の悪い癖と言えよう。
「でもなんで教えてやらないんや?確かにティルに口止めされたんもあるんやろうけど、
ウンディーネがアレ使うたんは影を消すためやろ?別にこれくらい教えてやったって……」
「何言ってんの、そんなことできるわけないでしょ。だって……」
ふう、とモモカは大きく溜め息を吐いた。
彼女の返答を聞くと、ヘビスは少々眉を上げ、困ったように笑った。
「教えすぎ、かあ。でもウンディーネにだって少なくとも知る権利はあるやろ?」
「ダメよ。身分も教えた、王国のことも教えた、禁呪文のことも教えた。これ以上教えるのはあんまり得策じゃないわ」
「んなこと言うても……」
「あの子は自分で思い出さなきゃいけないのよ。知ることと思い出すことは違うんだから」
「……もう少しで戻れるんやしな。見つけたんやろ?」
「まあね。あとはどれくらいで修得できるかだけど……」
「そこらへんは大丈夫や!この前な、わいの傷、魔法で治してくれてん!
なんやクラウドが言うには、頭が覚えてなくても体が覚えてるんやて。人間ってのは不思議なもんやなー!」
「そういえばあの子、今日ナンパしてきた男を魔法で撃退したって言ってたわ。案外期待できるかもね」
今日初めて見た彼女の笑顔に、言うまでもなくヘビスは胸をときめかせた。
頬が赤く染まり、一気に気分が高揚する。今日こそはいけるかもと意を決しヘビスはいつもの言葉を口にした。
「なっ、なあモモカ!」
「?なに?」
「その、明日いっしょに港町をまわらへん?無事大魔法の書も見つかったことや―――ぐふぇええっ!?」
言い終わるか終わらないうちに、彼の紅潮した頬にはモモカの足が見事めり込んでいた。
そのままヘビスは大きく吹き飛ばされ、数秒後には地に伏していた。
「お断りよっ!活気のない港町なんか見回ったって何が面白いっての?
だいたいあんた不謹慎なのよ!こんな時に観光なんかしてる場合じゃないのよ、わかってんの!?」
ヘビスのもとまで歩み寄り膝をつくと、彼女はヘビスの耳を思いっきり引っ張ってやった。
さすがにこれはたまらないとヘビスはひどく痛そうな叫び声をあげた。
「痛い痛い痛い!モモカ、堪忍してえなあ!」
「わかったの!?」
「わ、わかったわかった!わいが悪かったから!」
ばたばたとヘビスがもがくと、ふん、とモモカは手を放してやった。
そのまま立ち上がり、どこかへ行ってしまいそうになる。
「あれ…?ど、どこに行くんや?」
「自室に決まってるでしょ」
不機嫌に足音をたてながら、モモカは曲がり角の向こうへと消えた。
ひとり残されたヘビスは大きな溜め息をついた。
その前にまず立ち上がった方が良いと思われるのだが。
(あーあ、失敗か……いつになったらわいの気持ちに応えてくれるんやろか。
まあ確かに今回はちょっと不謹慎やったかもしれんけど、殴ることない――――)
二回目の溜め息をつきそうになって、ヘビスは気付いた。
いつもならば動けなくなるほどひどくめためたにやられるはずなのに、今回は違う。
蹴りで少々吹っ飛ばされ、耳をちょっと強くひっぱられただけだ。いつもならもっとひどいはずなのに。
床に寝転がりながら頬杖をついて、ヘビスは胸に残ったもやもやを考えてみることにした。
が、しょせん彼の頭で考えたところで行き着く結論はひとつしかない。
(少しずつやけど、きっとわいのことを認めてくれてきてるんやな?
そんで前みたいにはできなくなったと……モモカも乙女やなあ。好きな奴を傷つけたくないのは当然やもんな!)
その場でヘビスはうんうんと頷いてみせる。もちろんまだ寝転がったままである。
(そうとわかればこれからはかっこわるいとこ見せんようにせんと!
今までもそうしてきたつもりやけど、今日からはもっと頑張らなあかんな!)
珍しく眉をつり上げて彼は意気込んだ。……と、
「うわっ、ヘビス!?」
「おお、クラウドやないか」
今まさに自室に戻ろうとしていたクラウドに驚かれた。まあ当然のことである。
「お前こんなところで何を……」
「いやー、いつものことや。でも今日はだぁいぶ軽かったんやで。
モモカもとうとうわいのこと認める気になってくれたみたいやな。思えば苦節六年……長かったのう」
「ふ、ふうん……?」
「まあわいのことはええ。そっちこそどないしたんや?」
「別に、普通に自室に戻るところだよ」
「なぁんや、面白くないのう」
そこでようやくヘビスは立ち上がった。ぱんぱんと服についた埃を払い落とす。
「それにしても、モモカにやられた時はクラウドに会うことが多いなあ。なんや時間でも偶然合うとるんやろか」
「そんなの俺に聞かれ――――ああ」
なんとなしに周囲を見回して、クラウドはその原因に思い当たった。
考えてみれば至極当然のことだ。
「俺の部屋はモモカの部屋の前を通らないと行けないからな」
「ああ、なるほど」
ヘビスはモモカの部屋に直接アタックを仕掛けに行くことが多い。
それはだいたい食後にしては遅い時間であったり、起床時間の真っ最中であったりするので
クラウドは制裁を加えられた後のヘビスと遭遇する確率が高くなるのだった。
そしてボロ雑巾と化したヘビスを医務室へ連れていく役目を担うのも、だいたいクラウドである。
「今日は医務室に行く必要はなさそうだな?」
「そやな。これくらいなら平気や」
そう言って、彼は腕をぐるぐると回してみせた。確かに軽く揉まれただけのようだ。
その一連の動きを見て、クラウドは素直に「珍しい」と感じた。
「確かに珍しいな。そんな軽く済むなんて……今日は機嫌良かったのか?」
「いや、全然」
「あいつだったら良くても悪くても滅茶苦茶にしそうだもんな」
「それは言えてるなあ」
「……飽きたとか?」
「うわっ、それ普通にショックや」
いろいろ推測を並べてみるものの、どれもしっくりこない。
「やっぱりわいのこと好きになりつつあるんやて!
好きな人を傷つけたくない、でもこの気持ちを気付かれたくないっちゅう微妙な乙女心が……」
「なんだそれ。乙女心とかそれ以前に、お前男だろ」
「何言うてんねん。恋愛するなら乙女心くらいわからなあかんで!」
「はあ……」
「だいたいクラウドはまったく女心がわかっとらん!冷たくしすぎやで!」
「別に冷たくしてるつもりは……」
「いいや、じゅーぶん冷たい。あれじゃウンディーネが可哀相や!」
「はあ……」
「だいたいなあ――――」
ただいま夜10時。
人によってはとっくに夢の中だというのに、なぜ自分はヘビスの恋愛論を聞かされる羽目になっているのか。
彼の熱弁を右から左へと流しながらクラウドはまだヘビスの傷が浅い理由を考えていた。
機嫌が良いわけでもなかった。飽きたというのは少々ひどすぎるだろう。となると――――
(考えられるのは……急いでいた、か?でも何のために……)
「こぉらクラウド!ちゃんと聞いとるか!?今わいが言ってたこと復習してみい!」
「じゃなくて復唱な」
「よっ、余計なお世話やど阿呆!!」
――――夜は着々と更けていく。
◆
「こんばんはマドモアゼル。ご機嫌麗しゅう」
「っ!」
自室のドアを開けたところで、モモカは後ずさった。
そこにはつんつん頭にハシバミ色の瞳をした男―――ドルがいたからだった。
「怖がらなくてもいい。別に取って食いやしないよ」
「……何の用よ」
「冷たいなあ。久しぶりだっていうのに」
ドルはゆっくりとモモカに近寄ると彼女の輪郭を手に取り、己の目を見つめさせた。
とたん、モモカの表情が嫌悪に歪んだ。
「今宵の瞳は月の色、きらきら煌めく黄金色。
血のような真紅もいいけれど、やはり生来から兼ね備える色の方がそそるってもんだ。
まだ俺のものになる気にはならないかい、マドモアゼル?」
「カマトトぶってんじゃないわよ。あんたと関係結ぶくらいならドレットに逆らった方がマシってもんだわ」
「……相変わらずだな」
モモカはドルの手を振り払った。
「それで?何の用よ。今日は疲れてるんだからとっととしてよね」
「へいへい」
踵を返して、ドルは再びモモカの自室の中へと入った。
モモカもそれに続き、あたりに警戒を払ってから静かにドアを閉めた。
「ま、いきなり本題ぶっつけるけどよ」
乱暴に音を立てて、ドルは木製の椅子に腰掛けた。
「大魔法の書、見つかったんだろ」
「まあね」
「……驚かねえんだな?」
「ドレットならそれくらいのことは見通してるでしょ」
「それもそうだな。……んで、だ」
ドルは意地悪く笑ってみせる。
「麗しき王女サマは、大魔法を上手く扱えそうか?」
「………禁呪文も扱えたことだし、できるんじゃないの」
「おいおい。王女サマの命、狙われてること忘れてねえだろうな?」
その言葉に、モモカの表情は再び歪んだ。対照的にドルの顔は意地悪い喜びに笑む。
「組織ン中で今一番王女サマの近くにいるのはお前なんだぜ。情報を提供できるのもお前だけだ。
ドレット様はその情報を必要としてる。これがどういうことか――――」
「……あたしはドレットに、嫌でもあの子の情報を伝えなきゃいけないってことでしょ」
「わかってんじゃねえか。安心したぜ。
んで、だ。メジストの言うことには大魔法を使うには特殊な陣が必要らしいな」
「ええ」
「見つけたか?」
「……まあね」
「そりゃあ話しが早い」
ぱん、とドルは手を叩いた。
「どこだ?」
あまりに無遠慮な質問にモモカはドルを睨め付けた。
だがその行動に意味がないことがわかったのか、あきらめたように机の引き出しを開け
館長からもらったメモ、それから一枚の小さなメモ用紙と羽根ペンを取り出した。
そうして住所を書き写すと、メモ用紙をドルに勢いよく突き出してやった。
「こりゃどうもご親切に」
受け取ると、彼はメモ用紙をポケットにねじ込んだ。
「用は済んだでしょ。とっとと消えなさいよ」
「へいへい」
椅子から立ち上がり、ドルは壁に左手をついた。
その手のひらから徐々に闇が広がり、やがて等身大まで大きくなると彼の体を飲み込み始めた。
半分ほどを闇に飲まれたところで、ドルはふと思い出したように言った。
「そうだ。日時もわかったら連絡しろよ。それがわかんねえとこっちも動きようがねえからな」
「……わかったわ」
「次に会う時はまたいつもの紅い瞳にしとけ。やっぱあっちの方が俺好みだ」
直前、今日一番の意地悪い微笑みを残してドルは消えた。
「……………」
思わず溜め息が口をつく。吐かれたそれが完全に空気に溶け込むと、とたんに彼女の身は強い怒りと憎しみに焼かれた。
やらせない。決して殺させはしない。ドレットなどにウンディーネを殺させてたまるものか。
おそらく大魔法の詠唱中に襲うつもりなのだろう。だとすれば派遣されるはメジストか。
自分とクラウドたちだけでは手に負えまい。黄泉の力を借りなければ。
モモカは自室を出、静かな廊下を歩き始めた。たてるつもりはないのに足音が響く。
そうしていくつか曲がり角を過ぎたところでモモカは足を止めた。目の前には鍵のかけられたドアがある。
ドアを二回ほどノックして、モモカは顔を寄せた。
「あたしよ。開けて頂戴」
少し間があって、鍵を開ける音が聞こえた。ドアが開き、黄泉の顔が覗く。
「どうした」
「ドレットが……」
黄泉が眉にしわを寄せた。
「あいつ、ウンディーネを殺す気よ。大魔法を詠唱する時を狙うつもりだわ」
「しかし何のために……」
「ティムライトの人間は王家問わず全員殺せって命令だもの。ウンディーネは最後の生き残りだから――――」
「……なるほど。命令は絶対、か」
「たぶん来るのはメジストだわ。あたしたちだけじゃ手に負えないと思う」
「それで、私に同行を?」
モモカはしっかりとうなずいた。
しかし黄泉は困ったように眉にしわを寄せたままだ。
「お願い。あたし、あの子を殺したくない」
「……………」
……しばらくの沈黙のあと、黄泉は小さく溜め息をついて、渋々といった風にうなずいた。
「黄泉……」
「そろそろメジストとも決着をつけなくてはならないからな」
「ありがと。感謝するわ」
おやすみを言ってからモモカは踵を返した。ぱたぱたと駆け足の音が軽やかに響き渡っていく。
彼女が曲がり角に消えたのを確かめると、黄泉はドアを閉め鍵をかけた。
今夜の来客はもうないだろう。これでぐっすり眠れるはず――――
「よーみっ!愛しのアリヤ様が参上したぜー!」
「……何の用だ」
「何の用だなんてそんな水くさい。恒例のおやすみのキスをしに決まっ……」
アリヤが言い終えないうちに黄泉はドアを少しだけ開き、そこから顔を覗かせた。
相変わらずの阿呆面がそこにある。黄泉は思わず溜め息を吐き出した。
「毎晩しているように言うな馬鹿者が」
「もうっ、つれないなあ。照れることはないんだぜ!
あ、そうだ。何か困ってることとかないか?悩みがあるなら遠慮なくこのオレに言ってくれ!」
「……そうだな」
黄泉は少々考えたあと、"遠慮無く"アリヤに悩みをぶちまけた。
「ある馬鹿男がやけにつきまとってきて困っている、といったところか」
「うわっ、誰だよそいつ?オレが説得してやるぜ!」
「ならば鏡にでも向かってするんだな」
そうして、大きな音とともにドアが閉められた。
◆
"この書物を手に取った時点で既にわかっているだろうが、大魔法は一般の魔法よりも修得が難しい。
発見し、解読された当時よりもだいぶ理解されやすくなっているものの、難しいことにはかわりはない。
あまり多様されず今から何百年も前に封じられた呪文、禁呪文と同等といえばわかっていただけるだろうか。
しかし私は、あえて貴方に拍手を贈ろう。いつの時代も向上心とは素晴らしいものだ。
私なりに魔法をあまり心得てないものでも少しでも理解できるよう、わかりやすく大魔法への道のりを描いた。
数は少数だとは思うが、禁呪文を扱える者ならば大魔法を修得することは容易いはずだ。
ところで右のページに描かれている紋章を見て欲しい。これは私が開発した紋章だ。
とりあえず何も言わず、手を置いてみてほしい。"
ウンディーネは小首を傾げたが、とりあえず太陽と月が象られている紋章の上に手を置いた。
すると、紋章が赤く発光した。驚いて手をどかせると光は消えた。もう一度置いてみても結果は同じだった。
"おそらく紋章は赤い光を放っただろうと思う。それはまだ大魔法を修得していない証拠だ。
今の状態で長い文言を唱えても大魔法は発動しないはずだ。試しにやってみても時間の無駄になるだけだろう。
この本を読み終え、理解できたならば紋章は美しい青い光を発することになる。貴公には頑張って大魔法を修得してほしい。
ところで、貴公がこの紋章がどんな原理でこのような働きを持つかを知りたいと思っているのならやめておいた方がいい。
ここで原理を説明することは難しくはないが、かなり長くなるうえに理解できる魔術師は少数だ。
これだけで本が一冊できてしまうのでここでは説明を省かせていただく。その気があれば筆を執ろうと思う。
話が脱線してしまった。とりあえずこの章は序章でしかないので、次の章へ進んでもらおう。
貴公が魔法に理解があるならば、この本を読み終えた時には大魔法を扱えるようになっているはずだ。
いや、約束しよう。必ず扱えるようになっているはずだ。さあ、ページをめくるといい。"
すごい自信だな、と思いながらウンディーネは次のページをめくった。
双眸に文字をなぞらせていくうちにひとつわかったことがある。何故、この本が厚さに反して結構な重量を持つのか。
それはこの本に込められた魔力のせいだった。ところどころに特製の魔法陣や紋章が描かれており、
それらに著者の魔力が丁寧に込められているのだ。大魔法について綴る文字のひとつひとつからも微かな魔力を感じる。
いったいこの本の著者はどれだけ偉大な魔術師なのか。まったく恐れ多い。一度でいいからお目にかかってみたいものだ。
しかし……これだけ魔力がほとばしる魔術師が書いた本ならば期待しても損ではないかもしれない。
自分はエルフだし、魔法書を何十冊も読んだおかげで魔法の使い方も思い出した。
予想では一週間以上はかかると思っていたが、これなら思ったより早く修得できそうだ。
読み比べていないからわからないものの、きっとこの本は数ある大魔法修得の本のどれよりもわかりやすいに違いない。
なにしろ魔力だけでこんなに本を重くしてしまうほどの力を持つ魔術師が書いたのだから。
(よしっ…)
気合いを入れて、ウンディーネは再び本を読み始めた。
内容は確かに難しかった。だが、"頭は覚えていなくとも体は覚えている"。
微かに魔力がこもる文字たちは次々に彼女の頭の中へと入り、理解となって姿をあらわした。
禁呪文を修得した時も、こんな風に理解していったのだろうか。
10ページほど読み進めたところで彼女は本を閉じた。もう夜も遅いし、ほどほどにしておいた方がいいだろう。
勉強というものがこんなに疲れるものだとは。しかし本に書かれていることが理解できるのはとても楽しい。
なんとかこれまでの内容は理解できた。精神の集中の仕方、大魔法を使うにあたっての臨み方、それに注意事項。
どうやら自分の頭もまだまだ捨てたものではないらしい。このペースが順調に続くといいのだが。
毛布に潜ろうとして、視界にちらちらと白いものが入ったのに気がついた。
無意識にそちらに目を向ければ、暗闇のなか小さな白い光が無数に降る光景が窓越しに広がっていた。
ひらひらと落ちるそれは空中をゆっくりと降りてゆく。最終的にはみな海の中へと消えてゆく。
ウンディーネには、いったいそれが何なのかまったくわからなかった。なにせ初めて見たモノだったから。
けれど舞い落ちる美しい白を眺めているうちに、彼女の脳裏にひとつの単語が走った。
雪―――?
触ると冷たい、北の方にしか降らないもの。雨の代わりに降るもの。単に知識でしか知らなかったけれど。
これが雪。そうか、これが雪なんだ。なんて綺麗なのだろう。
雪が降る幻想的な光景にしばらく見惚れていたが、そのうちにあくびがでてしまったので窓から目を離した。
明日も早いのだし、いい加減に休まなければ。少し幸福な気分に浸りながら、改めてウンディーネは毛布の中へと潜った。
………夢 というものを私は見ない。
それは記憶喪失のせいなのか、ただ単に覚えていないだけなのか。
まあ、どうでもいいことなんだけど。
――――けれど彼女は、今夜も夢を見る。
ひらひらひらひら。花びらは舞い落ちる。ざわざわざわざわ。風に揺られて木々が唄う。
ふわり。渡ってきた風がカーテンをもてあそぶ。きらり。陽光に触れられて、蒼の瞳が光る。
「ウンディーネ」
慈愛に満ちた重々しい声に振り返れば、豪華な家具と赤い絨毯が敷き詰めてある部屋。
その出口である大きな扉の前に、父である王が佇んでいた。
「父さま」
なんとなしにそう呼ぶと、ティムライト王はにっこりと微笑んだ。
「お前に紹介したい者がいる。……おいで」
ティムライト王が扉の向こうを促すと、小さく扉が開いた。
出てきたのは印象的な瑠璃色の瞳をした少年。
「彼はクラウド・ルーベメルだ。お前も名前だけは聞いたことがあるだろう」
「数百年も前から続く、騎士の名家……」
「そうだ。クラウドはそのルーベメル家の長男。今日からお前の護衛につくこととなった。仲良くするようにな」
「はい、父さま」
ひらひらひらひら。花びらは舞い落ちる。ざわざわざわざわ。風に揺られて木々が唄う。
ふわり。渡ってきた風がカーテンをもてあそぶ。きらり。陽光に触れられて、瑠璃の瞳が光る。
ざわざわざわざわ。
父は去り、部屋には木々の歌声だけ。
「クラウドさま、お尋ねしても?」
「どうか"クラウド"と。私は貴女にそのような呼ばれ方をしていただけるような人間では御座いません」
「……じゃあ、クラウド」
「はい」
彼の態度に少々戸惑いながら、話しを続ける。
「あなた、騎士の名家なのでしょう。だったら剣の腕はさぞかし強いのでしょうね。
私ね、物心ついた頃から棒術を習っているの。腕はまだまだだけれど、同じ年頃の少女たちよりは絶対強いわ!」
「そうで御座いますか」
「ねえクラウド。私と手合わせしてみない?
あなたが勝つに決まっているけれど、私、自分の腕がどこまで通用するか試してみたいの」
「申し訳ありませんが、その申し出をお受けするわけには参りません」
彼はふるふると横に首を振った。
「もし私が軽率な真似をして貴女に傷をつけてしまえば、それこそ王に申し訳が立ちません」
「……そうね。私のせいであなたの家の名前に泥を塗ってしまうわけにはいかないものね」
「そんなつもりでは……」
「わかっているわ。少し意地悪をしてみたかっただけ」
ふふ、と微笑む。
少し間をおいてから、好奇心から問いかけてみた。
「あなたはなぜ私の護衛をすることに?」
「……………」
それまで少しも微動だにしなかった表情が微かに揺れ動いた。
悔しそうに下唇を噛んで、彼は言う。
「………ルーベメル家の人間だから。それだけです」
「え?」
「他にも候補はいました。もっとふさわしい人物がいたはずでした。
だけど……ルーベメル家の生まれだから、長男だから。たった、それだけの理由で」
ざあああああ――――
「クラウド」
「……なんでしょう、ウンディーネ様」
「あなた、いくつ?」
「十二です」
「じゃあ私よりふたつ年上ね。お兄さんだわ」
「貴女の兄上様などあまりに恐れ多い。私はただの護衛です」
「……私、あなたが護衛になってくれてよかったと思う」
「ありがたきお言……」
「きっと父さまがあなたを選んだのも、いちばん年齢が近かったからだわ。
だってあまりに年上だったらこんなに気軽には話せなかったもの。これからよろしくね」
「――――はい」
彼は微かに、けれど確かに微笑んでくれた。
ひらひらひらひら。花びらは舞う。
ざわざわざわざわ。木々は唄う。
「ウンディーネ様」
「なあに?」
ふわり。風はカーテンをもてあそぶ。
きらり。陽光に触れられて、ひかる蒼と瑠璃。
「まだ、思い出してはいただけないのですか」
「……何のこと?」
「記憶は目覚めを願っています。こうして貴女の夢に干渉してしまうほどまでに。
貴女はお忘れになられたわけではないでしょう?ただ、思い出せないだけで――――」
ひらひらひらひら――――
ざわざわざわざわ――――
◆
ウンディーネはふたたび紋章が描かれているページを開いていた。
あれから数日後、ようやく魔力こもる大魔法の書を読み終えることができた。
本に書かれていたすべてとは言えないが、ほとんどは理解できたと自信を持って言える。
修得できているかどうかはまた別の話。けれど、それを今確かめるのだ。
興奮する気持ちを抑えながら、ウンディーネはおそるおそる紋章の上に手を置いた。
数秒の間をおいたあと、紋章は確かに青い光を放った。大きな達成感が彼女の胸を満たす。
さて、あとは唱える大魔法を選ぶだけ。すっかり世話になった入門書の著者に胸中で礼をつぶやき、本を机の隅に置くと
ウンディーネは次に世話になるだろう大魔法全集を傍らに寄せた。本をぱらぱら開いてみると、まず目次が飛び込んだ。
どうやらわかりやすいように種別分けしているらしい。ありがたい配慮である。
一番最初にあったのは、5ページから案内されている攻撃系のもの。ざっと見ただけで10以上はある。
どれほど派手なのか気にはなったが、自分の魔力はエルフだということを抜いても並はずれていることを思い出した。
残念ではあるが攻撃系のものは使えないだろう。目測を誤れば大変なことになってしまう。
さて、そうなると他のものだ。次の欄へ移ろう。20ページから見られる補助系のものだ。あまり数は多くない。
補助系というと、仲間の移動速度を上げたり敵からの攻撃を防ぐ結界を創り出す魔法が考えられる。
それの大魔法とはどういうことだろう?
「……………」
まあ、見てみればわかることか。
20ページを開く。そしてぱらぱらとめくっていくと、思いもしなかった恐ろしい言葉が目に飛び込んできた。
町ごと命をもつ者を石化させてしまう魔法。
ひとつの大陸を沈め、その場に封印してしまう魔法。
そして、町単位、大陸単位で魔法を封じ込めてしまう魔法。
補助系、といえば聞こえはいいが――――。
これまでの高揚感も吹っ飛んだウンディーネは、慌ててページを目次まで戻した。
こんな背筋に戦慄が走るような効果を持つ魔法など使えない。
自分の記憶と引き換えに人々を犠牲にするなど、恐ろしくてできるものか。
さて、残るものはなんだろう。物騒な内容でなければいいのだが。
指をなぞらせていくと……"召喚"という二文字が目に入った。かっこいい。率直にそう思った。
見てみれば、51ページからの案内だ。さっそく見てみよう。"召喚"だけあって、そう数は多くないようだ。
召喚するものによっては獰猛なものや危険なものもあるだろうが、さすがにそれだけではないだろう。
小動物のような可愛らしいものを召喚できればいい。それなら誰にも被害が及ばなくて済むし、なんとかなりそうだ。
ぱらぱらとページをめくりながら見てみたが、召喚するものの名前だけではその内容はいっこうにわからない。
ひとつひとつ見ていく必要がありそうだ。少々面倒ではあるがしかたないだろう。
まず――――地獄の番犬。名前からして危険だ。却下。
森の王者。これはいいかもしれない。なかなかいい印象の持つ名前だ。
しかし説明を読んでみれば凶暴な獣で、その鋭い爪で敵を引き裂くという。駄目だ、却下。
燃ゆる焔の皇帝。すべてを炭にしてしまいそうな名前だ。却下。
時の調律者。時を操るのは楽しそうではあるが、下手をしたら大変なことになってしまうかもしれない。却下。
……召喚というのはなかなか物騒なものばかりである。別世界から呼び出すのだから、当然なのかもしれないが。
しかしここまで危険なものばかりとは。眉間にしわを寄せてページをめくっていくと何か風変わりな名前が目についた。
"同調司りし獣"
……名前だけでは効果のほどはいまいちわからない。
説明文に目を通してみると、どうやら召喚者と心を共有し、感情によってその姿を変化させる獣らしい。
これは面白そうだ。激しい感情を持ちさえしなければ周囲に被害が及ぶこともないだろう。
同調司りし獣――――ルム。
彼(彼女?)の名前を見つけると、ウンディーネは胸中でよろしくねとつぶやいた。
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あとがき
過去が少しだけのぞいた14話でした。
夢という形ではありますが、クラウドとウンディーネの出会いをようやくかけました。
しかし全てをかける日はいつになるやら。もうちょっと時間がかかりそうです。
ヘビスは相変わらずです。空気が読めない困った奴ですね。
ではまた次回に。
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