風に紛れてリィドが消えた後も、彼らはそこに佇んでいた。
あまりに唐突すぎる話しだ。信じたくないし、信じられるわけもない。
ウンディーネは思わず左右に首を振った。あの子ども……リィドは、どうして。
――――久しぶりだね。
知らない記憶の中で、自分はリィドと出会っていたのか。
「ウンディーネ、大丈夫?顔色悪いわよ」
不意に話しかけられて、顔をあげる。
すると月明かりに照らされたモモカの顔が見えた。どことなく心配そうだ。
「あ、ああ……大丈夫。ごめんね」
「いいわよ気にしなくても。突然あんなこと言われたんじゃ無理ないわ。
しかもあんたは記憶喪失の真っ最中だってのにさ。あのリィドとかいうのも間が悪いわよね。
せっかくなんだったら、記憶が戻ってから来ればいいのに。手間かかるじゃない」
今度は怒っているように見えた。面白いくらいにころころと表情が変わる。
それに思わず笑みを浮かべていると「なによ?」とばかりにモモカは怪訝な顔をした。
なんでもない、と左右に首を振る。モモカはまだ怪訝そうにしていたけれど、一応それで満足はしたようだった。
「にしたって、いきなり選ばれた人間扱いかいな。ありえんなあ」
「突然すぎるよな。どういう根拠があってオレらを選んだんだとか、そういうのも全っ然わかんねえし」
「でも……あの子も自分で言ってたけど、どうやってここに来たんだろう?
それに、僕たちをここで殺すことや未来を少しだけなら見ることができるって言ってた。
なんだか……怖いな。リィドって子、何者なんだろう……」
ぶるりとネルーは体を震わせた。
重い沈黙が落ちて、漆黒の海が歌う子守歌があたりを包み込む。
「……そろそろ中に戻らねえか?なんか寒くなってきやがった」
「そうね……」
サゥドの港町で毛布や防寒着を大量に買ってきた船長の判断は正しかったようだ。
だいぶ大陸に近づいていることから、徐々に気温も下がってきている。
特に今夜は結構な寒さ。夜空に浮かぶ星の瞬きも、心なしか凍えているように見えるというものだ。
……買っていくよう指示したのはベンで、船長はそれに従っただけかもしれないが。
もちろん、この刺すような冷気が気温のせいだけではないことは明確である。
ふとウンディーネはクラウドを見た。
顎に手をあてて何かを考え込んでいる。聞かずともリィドの言葉を考えていることは確かだ。
不意に突然数分前のことが思い出されて、途端に顔が熱くなった。
あまりにも衝撃的なことが起きたためにすっかり忘れていたようだ。
軽く頭を左右に振る。少なくとも、今はこんなことを考えている場合ではない。
クラウドのことについてはもうちょっと落ち着いてから考えることにしよう。
「ちょっとぉ、さっさと戻りましょ。なんか本格的に寒くなってきたわ」
「う、うん」
すでに船内への階段に足をかけているモモカに追いつくように、ウンディーネは軽く走り出した。
それに続くようにアリヤやヘビスも走り出す。クラウドだけが未だ考え込んでいて、ゆっくりとした足取りだ。
走っていないといえば黄泉もだが、あまり考え込んでいるような素振りは見られない。我関せずといった感じだ。
「クラウド?」
不意に声をかけられ、クラウドはようやく顎から手を離した。
見ればネルーがこちらを見ていた。顔面蒼白だ。
「早く戻ろうよ。よくわかんないけど……船乗りの朝って早いんでしょ?」
「ああ、そうだな」
うなずいて顔をあげ、いつもの歩調で歩き出す。少なくとも先ほどよりは速いスピードだ。
と、見事にばちりとウンディーネと目が合った。三秒もしないうちに彼女は目をそらし、クラウドの視界から消えた。
わざとらしいと思えるほどのスピードだ。……まあ、先ほど自分がしたことを思えば当然の行動かもしれない。
ゆるゆると首を振って、クラウドは階段に足をかけた。
――――彼女の頬がほんのり朱色に染まっていることに、彼は気づかなかった。
カミノウタ
第12話
−手がかり−
勢いをつけて腰掛けると、ベッドは軋んだ音をたてて弾んだ。
部屋の中は薄暗い。唯一の灯りは机の上の小さなランプだけだ。
光少ない箱庭の中で、クラウドはふっと溜め息を吐き出した。
あまり考えたくないというに、それは頭から離れてくれる様子を見せない。
リィドは……あの子どもは、いったい――――
いや、そんなことはどうでもいい。
今はそれを問題にしている場合ではない。少なくとも、今は。
彼の頭から離れないのはあの言葉。
――――君たちにしかできないんだ。君たちだけが唯一止められるんだ。
何故俺たちだけが止められる?何の根拠があってそんなことを口にする?
こんなの、おかしいじゃないか。
力があるというのならば、彼らより強い者は無数に存在するはずだ。それが権力の類ならばなおさらである。
百歩譲って(もう百歩ほど譲らなければ気がすまないが)、自分たちだけが止められるとしよう。
ただその半数は貨物船にて働くしがない若輩どもだ。その中にはもちろんクラウドも含まれている。
……何を考えているのかわからない暗殺者に、まだ子どもの超能力者。そして最後の生き残りとなった一国の王女。
その王女も今は記憶を失っている状態だ。その記憶を取り戻すために、船は進んでいるわけなのだが。
わからない。
この七人にいったい何ができるというのだ?
クラウドはため息をついた。何かの間違いとしか思えない。
だがすっぱりと思考の糸を切ってしまえないのは、やはりひっかかる何かがあるからで。
……リィドは、何故ウンディーネを王国から連れ出したのか。
(俺たちをひとっところに集めるために?)
馬鹿馬鹿しい。
もし人身売買を生業とする奴らがウンディーネを見つけてしまっていたら、今頃彼女はどこかもしれぬ異国の中だ。
それとも、自分たちが先に見つけるだろうことをリィドは確信していたというのか。
(そういえば、言ってたな)
少し先なら、未来を予見することもできる――――
いや、それこそ馬鹿馬鹿しい。これではリィドを信じることになるではないか。
彼は首を振って、ベッドの中にもぐりこんだ。ひんやりと冷たい。
先ほど汗びっしょりになっていた時とは大違いだ。
こんなに汗をかいたのは久しぶりだった。
北は中央と比べ魔物が大幅に少ないため、交戦する機会もあまりない。
というより、魔物側が船を避けているのだ。どうやら人間に関わるとろくな事にならないと学習しているらしい。
中央の魔物よりも比較的知能は発達しているようだ。時々、命知らずの幼い魔物が侵入してはくるが。
だんだん暖かくなってきたベッドの中でまどろみながらも、クラウドは思考を続けた。
自分はどこまで強くなれるのだろう。どこまで強くなれば彼女を守り切ることが出来るのだろう。
己の目指す強さが得られれば、彼女を危険にさらすこともない。何より無駄な血を流す必要はなくなるのだ。
一方、彼女は眠れずにいた。リィドのことも気にかかるが、今は――――クラウドのこと。
何故クラウドがあんなことを言ったのか皆目見当がつかない。抱きしめられた、意味も。
彼との関係は単に王女とその護衛というものではなかったのか。……最も、そのどちらも今となっては"元"だが。
記憶をなくす前ならば知っていたのだろうか。
クラウドが自分を守ることに固執する理由、あの時の言葉、行動の意味を。
すべてが戻ればすべてを理解できそうな気がする。当然そんなわけはないのだが。
ウンディーネは起きあがり、窓の外を見た。目の前には漆黒の海がただただ広がっているばかりである。
ふとある言葉が思い出されたが、まさかという思いから彼女は左右に首を振った。ありえない、そんなことは。
王女とその護衛。それ以上の関係だったらしいことは否めない。
だが、同時にそれだけの関係だったらしいことも否めない。
……考えてもきりのないことだ。なんせ、何も憶えていないのだから。
馬鹿馬鹿しくなって、ウンディーネは再びベッドの上に横たわり毛布をひっかぶった。
――――再度、彼女の脳裏に言葉が走る。
(彼はあなたのことをとても大切に思っています。……それはあなたも同じ、でしょう?)
◆
一週間ほど前のことだ。
赤い絨毯が敷き詰められ、柱にさえ豪華な細工がされている大広間。
そして、その奥の一段と高い場所に置かれている座り心地の良さそうな一脚の大きな椅子。
――――そう、ここは玉座の間。当然のごとく、その椅子にはひとりの男が腰掛けている。
やがて、黒く長いローブを羽織った男があらわれた。顔は見えない。
男はコツコツと足音を響かせながら若き王に歩み寄り、数十歩ほど前で立ち止まった。
仰々しくお辞儀をし、ひざまずく。
「お呼びでしょうか」
玉座に座る男もまた、仰々しくうなずいた。
「まずはそなたの主には礼を言わねばならない。名は……なんと言ったか」
「わたくしはドル。そして、我らが主の御名はドレット様にてございます」
「そうだった。ドル、ドレット。そうだったな。
そういえば今日はあの娘は来ていないのか?確か、メジストといった名だったな。
彼女にはティムライト殲滅の件でたいへん世話になった。礼を言いたい」
「それならば、不肖の身ではありますがわたくしがお伝えしましょう」
「ありがたい。近々食事に招きたいとも思っているのだが、それも伝えてはくれないか?」
「かしこまりました」
男―――ガダイ34世は機嫌良くひとつうなずくと、ドルに「楽にしてもよいぞ」と伝えた。
ドルはその言葉に従い、立ち上がった。顔を上げても、フードに隠された素顔がのぞくことはない。
「して、ガダイ皇帝様。このわたくしに何の御用でございましょうか」
「そうだな、そろそろ本題に入ろう。……次に落とす国のことで、相談がある」
皇帝の口元が、欲望で醜く歪んだ。
「ティムライトは落とした。長年の敵国であるルダイが落ちるのも既に時間の問題だ。
残る大国は三つ。どれから落とすべきか迷っていてな。ドレット殿の片腕であるそなたに意見を仰ぎたい」
「そのような大役、わたくしなどにお任せいただくとは光栄です。
……ですが皇帝様の城にも優秀な軍師は数多くいらっしゃるでしょう。
そちらにお任せされた方が事は上手く運ぶかもしれません」
「謙遜されるな。そなたたちの策の方が一枚上手なのだ。
それに我が軍師たちもそなたたちに一目置いている。特にドル、そなたの眼は大したものだ。
生まれながらの軍師だと城の中でも評判になっている。……どうだ、我が帝国がこの世を支配した暁には
我が城の軍師として働くというのは?悪いようにはせん。そなたの望む待遇を与えよう」
「なんとそれは……光栄の極みでございます」
ドルの頭がうやうやしく下げられた。
「ですが突然の申し出ゆえ……しばらく考える時間をお与え下さいませ。
何せわたくしのような愚か者には身が余るお話。この場では決めかねてしまいます」
「いいだろう。だがすぐに選択の時は来てしまうぞ。我が帝国がすべてを支配するのは時間の問題だろうからな」
「心得ておきます。……して、皇帝様は何故ゆえに迷っておられるのですか?」
「……ラーガム大陸のルィサ。ここは魔術が盛んだ。下手に攻め込んでしまえば多くの兵力が失われてしまう。
ラシア大陸のファーセル。城壁があたりを囲み、そのうえ厚い。難攻不落の城だ。
そして南マイルズ大陸のクヒィル。獣人どもの国だ。兵力が多く、また力も強い。頭は弱いのばかり揃っているがな。
この三つの国、どれから攻めればよいのか迷っているのだ。どれも厄介なうえ攻め落とすのに少々手間がかかる。
それに国の間で同盟を結ばれれば厄介なことになる。援軍を呼ばれてしまう可能性があるからな……」
「なるほど。ならば……」
少し、静寂が流れた。時間にすれば一分ほどであろうか。
思考に没頭するため下を向いていたドルが突然顔を上げた。
「まず、ルィサを攻めることをおすすめします。こちらからメジストを派遣し、
魔術封じの結界を張らせれば奴らは何もできません。降伏せざるを得なくなるでしょう。
そして次にファーセル。こちらからは兵力は派遣いたしません」
「何?ひとりも派遣しないというのか」
「ええ、必要ありません。貴方様の兵力だけでじゅうぶん落とすことが可能です」
「ほう……それで、あの城を落とすには何万人の兵力を必要とする?」
「何万人も必要ありません。四千ほどで足りるでしょう」
「四千だと?!」
思わず皇帝は身を乗り出した。
あの難攻不落と呼ばれる城壁を落とすのに、たった四千の兵力で足りるなど。
皇帝にしてみれば狂気の沙汰にしかすぎなかった。
だが目の前の男は冷静だ。とても狂っているようには見えない。
「……皇帝様は、兵糧責めという策をご存じで?」
「何だと?それくらい知って――――」
はっとした。
なるほど、そうか。そういうことか。
「長らく戦をしていなかったおかげで、すっかり頭が鈍っていたようだ。
なるほどな、そなたの言うことはよくわかったぞ。それならば万もいらぬ」
ファーセル城には王族や召使い、兵士など多くの者たちが暮らしている。
そして決まった時期に外に買い出しにいき、城の者たちを養う食料を調達するのだ。
城から誰ひとりとして出させないように兵で取り囲み、じわじわと追いつめていく。
食料は日ごとに減ってゆく。当然のように城の者たちは飢えてゆく。
いずれ敵は降伏せざるを得なくなる。兵糧責めと呼ばれるこの策を実行すれば、ファーセルを落とすのは容易いことだ。
「ひとり……優秀なスパイを送らねばな」
「はい。食料を調達する時期を調べなければなりません」
「ふ……やはりそなたたちは、あなどれぬ」
「ありがとうございます」
ドルが再び頭を垂れた。
その様子を少し観察してから、皇帝は口を開いた。問いかけに反応してドルの頭は再び上を向く。
「……して、獣人どもの国はどうする?」
「ふたつの国を落とした時、どのような態度に出るかが問題です。
こちらの傘下に入ることを望むか、それとも最後まで抵抗を続けるか」
「馬鹿な獣人どもが多く存在する国だ。最後まで力による解決を望むことだろう。
愚かしいことよ。獣は黙って我ら人間のペットとなってしっぽを振っていればよいのだ。
……まったく、戦場のコマを進めるというのは本当に面白い」
くつくつと、皇帝の口から笑いが漏れる。こらえずにはいられない様子だった。
欲望に歪んだ笑みを浮かべながら、皇帝は晴れ晴れと声を発した。
「ドルよ、力添え感謝する。そなたのおかげで我が国は更なる前進を得ることだろう」
「とんでもございません。わたくしはただ皇帝様の意志にお応えしたまで」
「先ほどの件、良い答えを期待している。……さがってよいぞ」
「はい」
最後に一礼をして、ドルは踵を返した。
控えていた兵士によって扉は開かれ、ドルが廊下へと足を滑らせると背後で静かに閉じられた。
ドルは口元を歪ませ、誰もいないはずの空間へと声を投げかけた。
「スーク」
その途端、するりと曲がり角から獣人が姿を現した。
「終わったのね」
「ああ」
「なら行きましょう。ドレット様に経過を報告しなくてはね」
スークの手が壁にそっと添えられた。ドルもそれに続く。
空気が唸るような、耳障りな音が静かな廊下に響く。次の瞬間には、二人の姿は影も形も無くなっていた。
◆
彼女は歩いていた。長い長いその道を。
薄暗く、おせじにも広いとはいえないその長い廊下。
藍色の瞳はまっすぐ前だけを見つめている。闇だけをずっと見つめている。
幾重にも響く音を生み出しているその足は、目の前の闇の追跡を続けることを止めようとしない。
だが。
突然の来客によって追跡は阻まれた。
彼女は左手方向にある壁を見つめた。特に色も持たず、何の特徴もない壁だ。
少しして――――壁が歪んだかと思うと、そこから黒い何かが吐き出され
それに続いて獣人も吐き出された。ドルとスークである。
「よぉ、メジスト」
地上に無事着地し、顔をあげたドルが目の前の彼女―――メジストの存在に気づいた。
その拍子にフードがずれ落ち、彼の素顔が明らかになる。
「どこへ行っていたの」
「ガダイに呼ばれてな。あのスケベ野郎、てめえに興味があるみたいだったぜ。
今度飯に呼びたいとか言ってたな。ちょうどいい機会だから取り入っとけよ」
ツンツンと固められた毛先をいじりながら、ドルはからかうようにハシバミ色の目をくるくるさせた。
だが感情の幅が常人よりも大幅に小さいメジストが相手だ。まともに相手にされることはほとんどない。
「そんなことより、いったい何の用で呼ばれていたの」
「ああ、ルィサとファーセルとクヒィルのどこを攻めればいいのかわかんねえから教えてくれだってよ。
まあ適当に相手しておいたぜ。ったく、より丁寧な言葉を使うってのは疲れるもんだ。
しかしあいつ、俺のこと軍師だってよ?それも自分の軍師の策よりも一枚上手らしいぜ。
ほんっとにおもしれえ奴だな。笑いをこらえんのに一苦労したぜ」
「面白いとはよく言ったものね。聞かせてもらってたけど反吐が出そうだったわよ」
スークが体を壁に預けて言った。少しいらついているようだ。
「へっ、そうカリカリすんなよスーク。際だった一部ってのはそれ自体にそういうイメージを植え付けちまうもんだ。
もっともてめえのような奴が獣人の中じゃ希有ってやつなのかもしんねえけどな。
どっちにしろ人間は馬鹿ばっかりだ。俺はひとつとして策なんかたてちゃいねえっての」
弾かれたコインが宙を舞う。
くるくると落ちるそれを素早く捕まえて、ドルはほくそ笑んだ。
「下手に策を立てるより、そっちの方が確実よね。なんたって百発百中なんだから」
「まるで予言者ね」
「馬鹿が。俺のコレは予言なんて不確かなもんじゃねェよ。占いって言ってくれ」
「占いも不確かには変わりないと思うけど」
「っせェなクソ婆。黙ってろ。スーク、とっとと報告に行こうぜ」
「そうね。メジスト、あなたはいいの?」
「私はもう終わったから。これからいただいた命令を実行に行くの」
「へぇ。どんな命令を?」
尋ねられたメジストは笑みを浮かべた。
ティムライトの時のような、どこまでも残酷な笑みを。
「ラーガム大陸に結界を張りに行くの。……楽しみだわ」
――――人々の顔は、絶望と焦燥に彩られるだろうから。
再び闇に向かって歩き始めたメジストの背を見送りながら、ドルがぽつりとつぶやいた。
「……すべてお見通しってわけか、あの方は」
「そうね。下手に逆らうことは許されないわ。ましてや裏切りなど」
「へっ、何言ってんだよ。ドレッド様を裏切るんなら、それこそいっそ死んだ方がマシってもんだぜ」
その言葉はけして強い忠誠からではなく。
「"第五条、忠誠。決して主を裏切るべからず。もし裏切れば"――――」
「……"その者は命を失うより恐ろしい刑に処される。"……ってか」
強い強い、恐怖から。
「まあ、そんなことする馬鹿いやしねえよ。俺たちはただ命令に従ってりゃあいいんだ」
「そうしないと命はないものね。行きましょう、あまり待たせてはいけないわ」
うなずいて、歩き始める。彼らもまた闇に向かって歩き続けるのだろう。
◆
そして時間は現在に戻る。
今、その手には新聞が握られていた。
その目は今日一番大きいと見られるトップ記事に釘付けになっており、顔には愕然とした表情が浮かべられていた。
ルィサ王国、為す術もなく陥落か。
信じられない。聞いた話では、ルィサは大きな力を持つ大国だったはず。
それが為す術もなく、だと?いったいどうしたことか。
いや、落ち着け。まず記事の内容を確かめなくては。慌てるのはそれからだ。
深呼吸をひとつ。そして食い入るように記事を読み始める。
読み進めていくうちに、意識とは無関係に体は少しずつ前のめりになっていた。
一気に―――脱力した。
どうやらラーガム大陸に魔術封じの巨大な結界が張られてしまったらしい。
攻撃手段を魔術しか持たないルィサ王国は、今や兵力0の状態だ。
これでガダイ帝国が攻め込んでくれば――――なるほど、新聞の見出しは正しい。
ウンディーネは溜め息を吐いた。
帝国がいつルィサ王国に攻め込むのか、まったくわからない。
この船が大陸に着くのが先か、それとも帝国がルィサを落とすのが先か。
もしこの情報が昨日、もしくは今日起こったことだったならば確実にこちらが先だったろう。
だが、この情報は……もう五日ほど前のこと。既に帝国軍が大陸に到着していてもおかしくはない。
どうしようもなく焦りが募る。けれど、大海原の上でいったい何ができるというのか。
今彼女にできることはただ待つことだけ。一分、いや一秒でも早く大陸に着けるよう祈ることだけだ。
ふと考えた。記憶を取り戻したところで、自分はどうするつもりなのだろう。
そもそも―――こんなことを言えば、間違いなくモモカに叱責されてしまうが―――
わざわざ失くした記憶を取り戻す必要がどこにあるというのだろう。
別に今のままでも構わない気がするのだ。
支障なく暮らしていけているし、既にない家族や故郷のことなど今更思い出さなくてもいいではないか。
モモカから聞いた話では、記憶を失う数日前、自分はあまりにも衝撃的な体験をしたらしい。
だいぶ追い詰められていたようだったから、それが原因で禁忌に触れてしまったのかもしれない、とも。
情報が遅れたのは無人島に滞在していたため。
一週間分の新聞が届けられ、昼休みには誰もが新聞を読むことに追われていた。
本日二回目の溜め息をついて、ウンディーネは手に持っていた新聞を脇にどけた。
目の前には五部ほどの新聞が積み重ねられている。彼女は一番上の新聞を手に取り、読み始めた。
やがてすべての記事を読むのが面倒になり、その日のトップ記事を読むだけに留める。
暗いニュースばかりだ。どこも戦争、戦争、戦争。そしてルダイ共和国に軍備が再来。溜め息はとめどない。
そうして今日の新聞を手に取りトップ記事に目をやったところで――――彼女の時は再び停止した。
「ウンディーネ!!」
乱暴に扉が開かれる。
一気に駆けてきたのか、肩を上下させるほど息が荒い。
その手には今日の新聞。彼女の目が一心に見つめている紙切れと同じものだった。
「こりゃまた……厄介なことになったもんだな」
船長はがりがりと頭を掻いた。目の前には、一面を思い切り陣取っているトップ記事。
ルィサ王国、帝国に全面降伏。
新聞記事によれば、二日前の明朝に帝国はラーガム大陸に上陸。
そして一日かけてゆっくりと王国に近づき、今日の同じく明朝に城下町に奇襲をかけた。
すぐさま王は従者を連れて城下町へと飛び出し、帝国軍と話し合いの場を設けた。
そこで突き付けられた条件――――
「今すぐ降伏していただければ、危害は加えませんよ。命令にはすべて従っていただきますがね。
大陸に張った結界も即刻解き放たせましょう。ただし、この王国にだけはそれは赦しません。
反乱が起こっては面倒ですから。どうです?良い条件でしょう。もっと厳しい条件でも良かったのですがね。
条件が飲めないのならば、ティムライトと同じ末路を辿っていただくことになりますが……それでもよろしいですか?」
……王の迅速な対応により、死者はひとりとして出なかった。
それだけが救いと言える。
「見た限り、取り押さえられているのは王国だけのようです。王国に近づきさえしなければ安全でしょうね」
ばさり、と音を立ててティルは己の視界から新聞を排除した。
「行くだけ行ってみませんか?
港に行けばなんらかの情報を得られるかもしれません。せっかくここまで来たことですしね」
「そうだな、オレ様もティルの意見に賛成だ」
「俺もやるだけやった方がいいと思う。……お前はどうしたい?」
三人分の視線がウンディーネに注がれる。ぐっ、と彼女は唇を噛み締めた。
記憶など戻らなくても構わない。それは建前でも強がりでもなく、間違いなく彼女の本音。
しかし――――
「……行きたい。少しだけでも、手がかりが欲しいです」
それでも彼女が記憶を求めるのは
「よっしゃ、決まりだな。このペースなら明日にでも上陸できっだろ」
己が禁忌に触れた理由が
「そうですね。ついでに仕事も見つけませんと」
隣に佇む彼、クラウドとのことが
「あのラーガム大陸だ。魔法書のひとつやふたつ、どうにかなるさ」
どうしても――――わからないから。
この船の中で自分のことを一番知っているだろうクラウドは何も話してはくれず、
なぜ自分が禁忌に触れ、記憶を失うことになってしまったのかは誰も教えてくれない。
彼女が知っているのは。
既に無い王国の王女だったことと、国と家族を滅ぼしたのは帝国だということと、
何年前か前まではクラウドが護衛をしてくれていたということと、自分の名前だけだ。
これだけでは疑問解決の糸口はまったく見えてこない。
それに――――
「しかし、たとえ大魔法を会得できたとしても……どこでそれを実行するか、ですね」
「あんまり派手なのはできねえよな。海の生態が壊れちまう」
「だいたいどんな種類があるのかもわからないしな。ウンディーネの魔力も考慮しないといけないし……」
彼らに義務はない。彼女から頼んだ覚えもない。別に記憶をこのままにしておいても罰は当たらないはずだ。
それなのに、なんとお人好しなことか。彼らはウンディーネの記憶を取り戻すことに全力を注いでくれている。
彼らの努力を無下にしないためにも、応えるためにも。彼女は知らなければならない。
「ま、なんとかなっだろ。オレ様のポジティブシンキングなめんじゃねえぞ」
「それも度が過ぎるとアレですけどね」
「船長はもう少しネガティブになっても構わないと思うぞ」
知らなければならないのだ。
◆
そして翌日、船は入港した。
この港町には特に名称はなく、ただ"港町"と呼ばれているらしい。
それと他の港町とは違う点がひとつ。
「あれ?ここって、なんだか……」
ウンディーネは思わず小首を傾げた。
それもそのはず。ここには港町特有の賑やかさがどこにも見あたらないのだ。
町を行き交う人々はどこか浮かない顔をしているし、店へ呼び込む声も聞こえない。
「まあ、当然といえば当然かしらね。自分たちに危害がなかったとはいえ、帝国の支配下に落ちたんだから」
「モモカ」
振り返れば、ちょうどモモカが船から降り立ったところだった。
だが、ここでもウンディーネは違和感を覚えることとなった。何かがおかしい。なんだろう。
その違和感はモモカと目が合った時に一気に解消された。同時に大きな疑問を胸に抱くことにもなったが。
いつもは深紅に落ち着いているモモカの目が、今は何故かきらきらと輝く黄金色。
怪訝な表情をしている当事者にその点を指摘してみると、彼女は「ああ」と笑ってみせた。
「あれはカラーコンタクトよ。こっちが地なの」
「ああ、なんだ」
ほっと息を吐き出したところで更なる疑問が湧き上がってきた。
ちょっと失礼かな、と思いつつも好奇心が抑えきれないウンディーネは質問を続ける。
「でも、どうしてカラーコンタクトなんてしてるの?地のままでも十分綺麗なのに」
「どうしてって……」
"綺麗"と言われたことに少々照れを覚えてモモカは頬を掻いた。
ウンディーネのような美少女にそんなことを言われると、なんだかくすぐったくなってしまう。
「だって金色なんてつまらないじゃない。ありふれてるし。
それだったら滅多にない色……たとえば、赤とか紫とかにした方が断然面白いわ。
まあずっとコンタクトしてると目が疲れちゃうから、たまーにこうやって外すんだけどね」
「ふうん…?」
ウンディーネは理解はできたものの共感はできなかったようだ。
そんな彼女に苦笑気味の微笑みを返してから、モモカはまっすぐに前方を見据えた。
「さ、行きましょ。道草食ってるわけにはいかないわ。さっさと手がかり探さないとね」
断固としたその言葉にウンディーネも頷いた。
とりあえず入港した港町で手がかりを探すことになったのだが、ウンディーネひとりだけではさすがに頼りない。
こういう時、真っ先に名乗り出そうなのがクラウドと思われる。しかし彼にはやらなければならない仕事がある。
へビスもアリヤもそれは同じだし、ネルーだって仕事を覚えることに手いっぱいだ。黄泉はハナっから望みなしである。
そこでモモカが名乗り出た。料理は他の者に任せても問題ないし、何より彼女は方向感覚に優れている。
この申し出に異を唱える者はひとりとして存在せず、かくしてウンディーネの身はモモカに委ねられたのだった。
「でも、手がかりを探すっていったって……」
困った風に辺りを見回し、ウンディーネはつぶやいた。
名前の有無に関わらず港町はそれなりに広いものが多い。この港町も例に漏れなかった。
あるかどうかわからない手がかりを探し出すなど、藁の中から針を見つけ出すようなものだと彼女は思う。
そんな彼女の肩に力強く手を置いて、モモカは言う。
「うじうじ考えないの。やれるだけやるって決めたんでしょ?」
「……うん、そうね」
「そうよ。逆境でこそ根性の発揮させどころなんだから。へビスがいい例よ」
言い寄ってはぼろ雑巾にされている彼を思い出して、悪いとは思いつつウンディーネはくすりと笑った。
逆境。根性。それはまさに、へビスのような者のためにある言葉なのかもしれない。
ウンディーネにつられて、モモカも優しく微笑んだ。
「さ、行きましょ」
「うん」
一歩一歩を踏みしめて歩く。
きょろきょろを町並みを見回しながら、露天に並ぶ商品を眺めながら。
騒がしいとも静かともいえない雑踏が彼女たちが包む。
ふと視界の隅に何かが映り込んだのに気づいて、ウンディーネは空を見上げた。
そこには周りの建物より一際高い建物がどすんと座り込んでいた。
ひたすら前へ進んでいた足が停止する。それにすぐ気づいて、モモカが声をかけてきた。
「なに?」
黙って、建物を指さす。
「あの建物がどうしたのよ」
「わからない」
怪訝な視線を自分に向けるモモカにも構わず彼女は建物を見つめ続ける。
なんだろう。何かがひっかかる。どこかで見たような――――
「あぁ、あれ。図書館だよ」
不意に知らない声が耳に届いたせいか、ウンディーネは大きな動きで振り返った。
声の発生源は、年頃に似合わぬ落ち着き払った雰囲気を醸しだしている垂れ目の青年。
にこにこと微笑んだその顔には悪意のひとかけらも見あたらなかった。
「何……?」
まだ、頭がぼんやりする。
「今しがた、あなたがじいっと見つめてたものの名前。図書館だよ」
「図書館ですって?」
モモカが反応を見せる。眉間にしわが寄せられていた。
「それにしてはずいぶん大きいんじゃない?こんな港町に図書館があるってのもおかしな話しだわ」
「まあそう思うのも無理な話しだけど」
ふっ、と青年は環状の煙を吐き出した。キセルが右手に握られている。
「本が大好きな爺さんがいるんだ。てめえの女房よりも本を愛してる、変わった奴さ。
そのうち爺さんは自分の集めた本をみんなに見せたいってんで、図書館の建築を始めてね。
そうして建てられたのがアレ、さ。だけど十五年経つ今でもあの図書館はまだまだ未完成。なんでだと思う?」
少女二人は顔を見合わせ、再び地面の上でくつろいでいる青年に目を向けた。
まったくわからないといった風だ。それを見た青年はどこか嬉しそうに続きを話し始めた。
「爺さんの蔵書の数は果てしないんだよ。軽く五万は超してる。
なんせ本を集めるだけことしかしてないからね、あの爺さん。人生をそのことだけに使ってる。
あれだけ大きい図書館だけど、ようやく蔵書の半分ちょっとを納めただけらしいよ。
蔵書すべてを納めるにはまーだまだ、たっぷりと時間がかかるんだってさ」
「……呆れる話しね」
「みんなそう言う」
青年はまた環状の煙を吐き出した。
それはふわふわと空中を漂い、やがて形を崩して消えていった。
「興味があるなら行ってみるといいよ。世界中の本が集まってる」
「そこ……魔術書もありますか?」
出し抜けに、ウンディーネが青年に尋ねた。
青年はぱちぱちと瞬きをしたあと、またにっこりと微笑んだ。
「そうだな、それくらいはあるんじゃないかな」
「え、何?その爺さん魔法使えるワケ?」
「まさか!からっきしだよ。ただ単に読むのが面白いらしい」
「何よそれ……ほんっと変わった人なのね」
「貴重な情報、ありがとうございました。モモカ、行こう!」
モモカが引き留める間もなく、ウンディーネは走り出した。
人を掻き分け掻き分け、ただただ図書館を目指して。
「…ったく、世話がやけるったら!」
溜め息をひとつ。それから青年に向き直って、
「ちょうど探し物してたとこだったの。助かったわ、ありがとね」
別れの合図に片手を軽く挙げ、先走るウンディーネを追うため彼女も走り出した。
その背中をすっかり見送ってから青年は一息ついて―――しまったというようにキセルを取り落とした。
「ナンパするつもりだったんだっけ……こりゃうっかり」
なかなかの上玉だったのに、俺としたことがこんな大失態を犯すなんて。
心のつぶやきとは裏腹にその表情は明るく、後悔や焦燥は見つからなかった。
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あとがき
なんとなくまったり進んだ12話でした。
例によって多いですねー、場面転換。もうちょっと長く書けないものか。
最後の方に出てくる青年の口調をまったりな感じにしてみました。
しかし、港町に図書館があるっていうのは本当に変な話し。普通ないよね……。
ではまた次回に。
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