「ネルー、本当に来ないのか?」



船が出る数分前、アリヤはネルーに質問をしていた。今日何度も口にした質問である。



「何度も言ってるだろ?
僕は動物たちとこの島を守らなきゃいけないんだ。だから残念だけど、君たちと一緒には行けないよ」



言い聞かせるようにゆっくりと、ネルーは質問に答えた。
こちらもまた、今日何度も口にした答えである。



「んー…そうか……」



その答えに対する反応も変わらない。
今こそは納得した素振りを見せているが、数分後にはまた同じやりとりがされることだろう。
……だが、船を出す準備はもう既に終わっている。次が、最後だ。
今は天気も安定している。全員が乗り込み次第、船は出る。

ひとりひとりがネルーに別れを告げ、船に乗り込んでいく。
そうして砂浜にはアリヤとネルーの二人だけとなった。
船に乗り込む直前、彼は再びあの質問を口にしようとした。しかし――――



「もう、聞かなくても分かるだろ?僕の決意は変わらないよ」



ネルーがそれを遮った。
アリヤは少し目をまばたいて……まいったという風に肩をすくめた。



「じゃあ、ここでお別れだな。まあそうふてくされんなって」

「別にふてくされてなんか……」



今度はネルーが遮られる番だった。アリヤに頭をなでられて、何も言えなくなったのだ。
じゃあ、と右手を差し出したが、ネルーから右手を差し出す気配は感じ取れない。



「ネルー?」

「……う、うん」



促され、おそるおそると彼は右手を差し出した。ぎゅ、と力強い握手が交わされる。



「じゃあ、な」



返事はせずに、うなずいた。

アリヤの体が海を向き、早いとも遅いともいえぬスピードで船に近づいていく。
その足が砂に跡を残すたび、ネルーの中でおとなしくしていた"ある望みと否定"がどんどんと大きく、強くなっていった。




























……嫌、だ……


















…嫌だ……嫌だ……!!

















行かないで、行かないでよ。

僕をひとりにしないで!!

















嫌だ、嫌だ、嫌だ。

ひとりになるのはもう嫌だ。

















もっと人と、人間と話したい。

いろんな物を見たい、世界を見てみたい。

















ねぇ、お願い。

お願いだから――――!




























「っ、待って!!」



アリヤが船に乗り込む、まさにその直前。ネルーはほとんど衝動に任せて叫んでいた。
当然のごとくアリヤや他の船員たちは驚いて彼を見つめた。
たくさんの視線を浴びて、途端にネルーの体はすくんで何も言えなくなる。
それを見抜いたのか、アリヤが船員たちに何かを伝えて再びネルーの元へ戻ってきた。
船員たちはもうこちらを見ていない。彼のことだ、「ネルーのことは俺に任せろ」とでも言ったのだろう。



「どした。忘れもんでもしたか?」

「……違う」



うつむいて、ふるふると首を振る。ん?とアリヤが首を傾げた。
決意を固めて口を開こうと顔を上げると、指先と頬に少しくすぐったい感触が伝わった。
肩にとまっている小鳥と、かたわらにいる狐の毛、である。――――それが再び、ネルーの決意を揺るがせた。

僕も連れていって――――そう、伝える気だった。
何をしようとしていたんだろう。彼らを、動物たちをここに置き去りにするなんてできないのに。

一番言いたかった言葉を飲み込んで、ネルーは「さよなら」とだけ告げた。
アリヤは改めて言われた言葉にきょとんとしていたが、やがて苦笑いを浮かべて「おう」と言葉を返した。







そして――――

ひとり残らず乗せた船は、快調に波の上を滑り始めた。

























































船が出てしばらく経ってから、モモカは問いかけた。



「ネルー、なんだって?」

「あー……さよなら、だってよ。あらたまって言われちまったぜ」

「だめ押しのだめ押しね。あんた嫌われてんじゃない?」

「……外の世界、見せてやりたかったんだけどなあ……やっぱ、こんな短い日にちじゃ無理があったか」



モモカの冗談めいた言葉も流して、アリヤは軽くため息をついた。やれやれとモモカは腰に両手を当てる。



「あの子の決めたことなんだから仕方ないでしょ。
大の男がいつまでもぐちぐち言ってんじゃないわよ。ほぉら、仕事しなさい仕事!」

「へいへい…わぁーったよ、ったく」



ぽん、とモモカに投げ出されたモップはアリヤにうまくキャッチされた。いかにもだるそうに立ち上がる。
しぶしぶながらもアリヤが甲板の掃除を始めたのを見届けた彼女は、満足そうにうなずいた。
そして持ち場に戻ろうとして――――我が目を疑った。思わず勢いよく船の手すりから身を乗り出す。



「なんだ、どうしたんだよ?」

「……ネルーだわ」

「は?何言ってんだよ、あいつは島に残って…」

「ウソだと思うなら見てみなさいよ!」



戸惑いながらも、その指が指した先を見てみれば。
…確かに、風に乗って真っ直ぐこちらに向かってくる少年の姿があった。


























































カミノウタ



第11話

−邂逅−





























































その数分前のことだ。



「……行っちゃった」



船が出て十分ほど経った後、ネルーは小さくつぶやいた。
自分の選んだ道に、後悔はない。長年一緒に暮らしてきた動物たちをどうして置き去りに出来ようか。
これでよかったのだ。自分の選択は、正しかった。
と、傍らの狐が小さく鳴いた。



「あ……ごめんね。そろそろ戻ろうか」



くるりとネルーは踵を返し、森へと歩き始めた。
が、何か違和感を感じて足を止める。狐が服のそでを噛んでいるのだ。



「えっ、なん……?」



森から海へとネルーの体の向きを変えさせると、狐は自らネルーの手に触れた。
狐の心の声が、ネルーの耳の内側へと流れ込む。





なぜ自分の気持ちを抑え込む?





「え?何言って……」





本当は、あの人間たちと一緒に行きたいのだろう。





「そんな……そんなことないよ。君たちを置き去りにして、ここを出られるわけないじゃないか」





それだ。
我々のことなど考えなくてもいいのだ。





「何言ってるの!?僕がいなきゃ、誰が君たちを守るっていうんだよ!」





我々自身、さ。





「……え……」





ネルー、我々の中には牙や爪を持つ者も少なくない。仲間の身を守ることだってできる。
それに、お前と長年付き合ってきたことによって人間の本質や考え方も分かってきた。
もう我々やこの島を守ることに固執し続けることはない。自分のやりたいことをすればいい。





「っ、でも…」





いつまで迷うつもりだ。
こうしている間にも、彼らが遠ざかっていくことを忘れるな。さあ、行け!





ネルーが次の言葉を口にする前に、会話は打ち切られた。
狐が離れ、彼の背中に回り込んだからだ。そのまま鼻先で、ネルーは軽く後押しされた。
今にも水平線に消え入りそうな船が目に入った。なんともいえない感情が、胸の中で燃え上がっていく。

狐やうさぎ、それからいろいろな動物を順番に強く抱きしめ、感謝の念を伝えていく。
最後の一匹を抱きしめると、彼は小さくさよならを告げて自らを浮き上がらせた。

























































驚き目を見開いている船員の注目を浴びながら、ネルーはいとも簡単に甲板に降り立った。



「ネルー、お前どうしたんだ?!」

「動物と島を守るって、あれほど誘っても行かないって言ってたのに…」

「何言ってんだい、素直に喜びな!経過はどうあれ一緒に来てくれる気になったんだからさ!」

「え、えっと……」



一気に話しかけられたためにネルーは少しひるんだが、気を強く持つようにした。深く息を吸う。



「その……僕、本当は一緒に行きたかったんだけど、動物たちと島のことがあるから本音を言えなかったんだ。
だけどみんなはお見通しだったみたいで、自分たちは大丈夫だから一緒に行けって。
別れるのは淋しいけど、でも……世界を見てみたくなったんだ」



遠慮がちに微笑んだ次の瞬間、ネルーはつぶされそうになった。
甲板にいた数名の船員たちが一気に喜びをあらわにし、押し寄せてきたからである。
ぐしゃぐしゃと頭をなでられたり、拳をぐりぐりと押し当てられたり。



「このやろ、ころころと心変わりしやがって!」

「い、痛い!痛いよ!」

「おいおい、程々にしとけよ。ヘタすると背ぇ伸びなくなっちまうかもしんねえぞ」



ネルーが仲間に加わることがわかって大騒ぎしている甲板に船長が上ってきた。
しかし何が起こっているかはわかっていなかったようで、近くにいた船員に尋ねたことで事情を飲み込んだ。



「おめえら、騒ぐのもそのへんにしといて仕事に戻れ!それから―――ネルー」



びくりと体を震わせたものの、ネルーはしっかり返事を返す。
そして人と人との間をすり抜けて、ぱたぱたと船長に駆け寄った。



「ちょっと一緒に船長室まで来てくれねえか?話したいことがある」

「は……はい」



二人の背中が船の中に完全に消えると、たちまち船員たちの間に不穏な空気が流れ始めた。
それに伴って、ざわざわとどよめく声が広がっていく。



「ねぇ、ここまで来て船には乗せられないってことは……」

「まさか!お父さんに限ってそれはないわよ」

「だといいんだけど……」

「大丈夫よ!来る者拒まず去る者追わずがお父さんのモットーだもの。
それにネルーにはチカラがある。あたしたちの船長がそれを逃さない手はないでしょ?」

「……そうよね」



モモカとウンディーネとそんな会話と交わしている間に、
やけに落ち着いた様子で煙草を吸っているアリヤをヘビスが見つけていた。



「おうアリヤ、ずいぶん落ち着いてるやんか。てっきりめちゃくちゃ喜んでると思っとったのに」

「あのなぁ……ガキじゃねえんだから、手足ばたつかせて喜ぶわけねえだろ。
別に喜んでないわけじゃないんだ。オレはオレのやりかたで喜んでんのさ」

「ふうん……そんなもんか?」

「そんなもんだ」



言って、アリヤは煙を吐き出した。
煙はゆらゆらと立ち上り、やがて青い青い空の中へと消えていった。

























































船長に促されて、ネルーはおずおずと長椅子に腰掛けた。
目の前のテーブルには世界地図が広げられており、インクや羽ペン、コンパスなどが置かれている。



「さて、わざわざ船長室にご足労いただいたわけですが……」



向かい際に座っているティルが言った。
ちなみに、いつも着ている白衣は医務室の中だ。



「ネルーさん、でしたね。とりあえずはじめましてとだけ言っておきましょうか。
私はこの船の船医兼副船長を務めさせていただいている、ティルと申します。
あなたのことはみなさんから聞いています。なんでも超能力というチカラを扱えるとか」

「は、はい!」



ぴん、と背筋を伸ばしたネルーを見て、ティルは胸中で思わず苦笑した。
緊張する気持ちはわかるが、肩に力など入れる必要などないのだ。
自分たちはそれほど偉大な人物ではないし、彼となんら変わらない人間なのだから。



「ああ、敬語なんていいですよ。私のはただの癖みたいなものですし」

「だけど……」

「そうそう、気ぃ遣わなくていいぞ。
ティルとかを除いてほとんどの奴はオレ様にだってタメ口だしな。
オレ様はいちいち緊張する職場なんて作りたくねえ。ほれ、肩の力なんかとっとと抜いちまいな」



言われて、ネルーはほっと息を吐き出した。
どうやらこの船には揃いも揃ってお人好しばかりのようだ。



「さてそれじゃあ、本題に移るかね。働かざる者食うべからず、だ。
オレ様たちについていくと決めた以上、おめえさんにも仕事をしてもらわなきゃならん。
んで、だ。おめえさん超能力以外に何かできることはあるか?」

「え、えーっと……」



ネルーは思考を巡らせた。自分に何かできることはあるだろうか。
数日前、木の上からヘビスに小石を命中させたことから、コントロールは結構いい方と思える。
砲撃手として活躍できるかもしれないが、見た限りここは貨物船である。あまり役に立つとは思えない。

再び思考を巡らせるものの、他には何も思いつかない。
ふと、これでは船に置いてもらえないのではないかという考えが胸によぎった。
よって必然的に、ネルーの表情には焦りが見え始めることになる。



「おいおい、何焦ってんだ。別にないならないで構わないぜ」

「えっ……」

「おめえさんにはすでにすんごいチカラがあるんだ。
それにもし本当に何もできなくたって、この船から追い出すようなことはこのオレ様はしねえよ」

「あっ……ありがとう」

「いいってことよ。たった今からおめえさんはオレ様たちの仲間だ!」

「船長の言う通りです。これからよろしくお願いしますよ、ネルー」



ティルがにっこりと微笑んだ。
ふたたび安堵が胸の中に広がって、ネルーは知らずに微笑んでいた。
思わず口元がほころぶなど、いったい何年ぶりのことだろう。



「さてまあ、和んだところでもうひとつ話しあわなきゃなんねえことがある」



長椅子に腰掛け、船長は机の上の世界地図をトントンと叩いた。



「オレ様たちは、ここラーガム大陸のルィサ王国に向かってる。
ウンディーネがちょいとしたことから記憶喪失になっちまって、元の記憶を取り戻すためには
脳に強いショックを与える方法――――大魔法とやらの使い方を調べてなきゃならん。
あいつはちょいと魔力が強すぎるんで、へたなもんは使えない。慎重に選ばなきゃな。
初めて会った時のあの魔法の威力といったら――――っと、いけねえ」



話しが脱線しかけていることに気づき、いったん言葉を打ち切る。
そして少し間を置いてから、再び口を開いた。



「いつ帝国がルィサ王国を潰しにかかるかもわからねえんでな。急ぎたいんだ。
そんでネルー。おめえさんが住んでた島はどれなのか、わかるか?」



ぶしつけですまんな、と船長は付け足す。
その言葉に首を横に振ってから、ネルーは地図をのぞき込んだ。
大陸のまわりには六つの小島の存在が示されている。
ネルーは胸中で、小島の数が無数でなかったことに感謝した。
これほどの数ならばなんとか絞ることは可能なはずだ。
といっても、あの小島を上空から見たことはない。容易にこの問題は片づけられないだろう。
とりあえず明らかに地形が違うと断定できるものを除外すれば、絞られるのは三つ。
ネルーは意識を集中して、島の地形を頭に思い浮かべた。

ほとんど森に覆われた島の真ん中にある、小高い山。
岩場はあまりない。砂浜がほとんどだろう。
これらを考慮して考えると――――



結果が指し示させたのは、港町よりやや南西に位置している一番小さな島。



「なるほど、これですか」

「今はとりあえず北に進んじまってるからな。
ティル、ちょいと進路係に北東に進路を変えるように伝えてきてくれ」

「わかりました」



ティルが部屋を出ていって少し経ってから、ネルーは思い切って尋ねた。
先ほどの船長の言葉に疑問を覚えた箇所があったのだ。



「あの……帝国って?」

「ん?……あー、そうか。何年もあの小島に住んでたからな。
いいか?帝国ってのは、ガダイっていう王が非常識な独裁を続けてるガダイ帝国のことだ。
ほとんどの国が軍隊を捨ててちまってるのに対して、帝国は決して手放さない。
最近ようやくわかってくれて、軍を捨てて隣国と和平を結ぶと宣言したんだが……。
あの戦争馬鹿、あっさりと約束を破ってティムライト王国に攻め込みやがった。
突然のことで備えもなかったし、もちろん軍隊もいない。王国が落ちるのはあっという間だったらしい」



(……ティムライト王国)



思わず、ウンディーネのことが頭に浮かんだ。
自分の故郷が滅んだと知って、どんな気持ちになったのだろうか。
身を切り裂かれるほどの悲哀を痛感したのだろうか。それとも、体中の血が沸騰しそうなほどの怒濤か。
――――どちらにしても、耐えられないほどの衝撃が彼女を襲ったことは間違いないはずだ。

ネルーが考えに耽っている間も船長は続けた。



「今の帝国の動きは誰にもわからない。次にどこを攻めるかも、何をするのかも。
それぞれの国の民はみんな、明日おとずれるかもしれねえ死に怯えてる。
何しろ軍隊を捨てちまってる国がほとんどだ。このままじゃ世界は帝国の思うまんまだし、
帝国が世界を支配するのも時間の問題だとまで言われちまってる。まあ……今の世界の状況は、こんなもんだな」



船長の口から溜め息が漏れた。



ネルーはひどく戸惑う。
自分が島で何年も暮らしている間に、こんなことになっているとは思いもしなかった。
いや、外の世界の状況を考えることを拒否していただけか。
だが外に出た今、ここ数年の間にあったことを知っていかなければならない。
なにしろ今の自分は、何も知らない赤ん坊のようなものなのだから。

















































































































夢を みていた




























上も下も右も左も分からない

闇の中ではない ましてや光の中でもない





何も感じない





視覚も聴覚も触覚もさらには嗅覚も働かないここは いったいどこなのか?

――――夢の世界と割り切ってしまえばそれまでだが




























少年とも少女ともとれる子どもがひとり 浮き彫りにされているかのようにそこに存在していた

ピエロのような化粧をしている子どもはまっすぐにこちらを見つめている

自分はここはどこだ と聞こうとする だが口は開かない 指一本 眉毛さえ動かせない




























「              」




























子どもの口が開かれる


その声が 言葉が耳に届いた瞬間










































夢の世界はあっさりとかき消えた










































まぶたをゆっくりと開いて、ぱちぱちと瞬き。
だるそうにベッドから這い出て、軽くためいきをつく。
まったく妙な夢を見てしまった。夢なら何度も見たが、記憶を取り戻す手がかりにはなりそうもない。
気付いてみれば汗びっしょりになっていた。体温もだいぶ上昇しているようだ。
甲板にのぼれば涼しい潮風が吹いているだろう。
だが、寝間着のままでは冷えすぎてしまうかもしれない。そう思って上着をひっさげた。


扉を静かに開け、静かに閉める。
廊下は暗く、しんとしていた。小さな子どもならば恐怖を覚えるだろう。
歩き始めれば自分の足音だけが響く。幾重にも反響していく。
甲板へと続く階段を上り、外に出るとそよ風が彼女の頬を撫でた。
上昇した体温を冷やしてくれる風が、気持ちいい。
耳に心地よい潮騒が絶えず聞こえる。空を見上げれば満天の星空だ。
今日は今までで一番楽しい日だった。といっても記憶がないので、今日以上に楽しい日があったかも知れない。


ティルの話しによれば、順調に航海が進めばあと三日ほどで大陸に到着するらしい。
船長たちが港町で仕事を請け負う間、ウンディーネたちはルィサ王国へと向かう。
町から王国までの距離はわからないのでどれくらいで戻れるかはまったくわからないが。
それでも記憶が戻る日は近いことを思えば、自然と彼女の心は躍った。
自分の過去がどんなものかはわからない。けれど、このままではいけない。そんな気が、する。


顔を上げて振り返ると、そこにはひとつの人影が佇んでいた。
小麦色の髪に黒いバンダナ。……クラウドだ。
声をかけようかどうか迷っていると、どうやら彼も気付いたらしい。



「……どうしたんだ、こんな時間に」



少し驚いた表情を浮かべていた。自分以外に誰かいるとは思わなかったようだ。
自分の隣までやってくる彼を目で追いながら、ウンディーネは答える。



「なんだか目が覚めちゃって。クラウドは?」

「ああ、俺もいきなり目が覚めた」



彼はウンディーネから漆黒の闇の中で呼吸を続けている海へとすぐに視線を移した。
夜の海には妖しいほどの美しさがある。ひとたび気を抜けば吸い込まれてしまいそうだ。
だがクラウドは、海から決して目をそらそうとしない。
今、自分の隣にそれとは違う美しさを持つ少女がいるからだ。


――――夜空の下の彼女は、昼間とは違う美しさを発揮するようだった。
普段は太陽の光で明るく輝く銀髪も、月明かりに照らされれば違う輝きを持つ。
青空よりも美しい色を持つ目は夜空の星を鏡のように映し出し、きらきらと煌めいている。





直視、できない。





「クラウド?」



呼ばれて我に返る。
それでも彼は海から目をそらさない。



「どうしたの?考え事?」

「いや、ぼうっとしてただけだ」

「……足の怪我、痛いんじゃない?」

「…大丈夫だ」



確かに痛むこともある。
だが、負傷したばかりの時に比べればかなりよくなった方だ。
あの時は少し歩いただけでも激痛が走っていたのだから。
けれどそれも己の責任といえる。一瞬とはいえ油断を許し、それが元で足を負傷した。
命をとられなかったことだけでも幸運だったろう。
彼女が記憶を失ってしまったのも、もとはといえば――――



「……俺の、せいだ」

「え?」

「俺のせいなんだ。お前が記憶を失くしたのは」

「?私が禁呪文っていうのを使ったからでしょ?モモカから聞いただけだけど……」

「違う!」



小麦色の髪が揺れた。



「俺がもっと強かったら、足を怪我することもなかった。
お前が記憶を失くして苦しむこともなかった。全部、俺の責任なんだ」



理解できない。今の彼女には。



「お前を、守らなきゃいけなかった」



彼の言葉が何を意味しているのかも――――彼自身も気付いていない感情さえ。
昔の記憶を持たない彼女には、理解することはできない。



「絶対守るって、誓ったんだ。……なのに、俺は………。
いつになったらこの誓いを守れるようになる?お前を守りきれるようになるのはいつだ?
俺は五年前と何も変わってない。このままじゃ繰り返すだけだ」



クラウドは不意に顔を上げた。
目の前には月明かりの下で美しく輝く、ひとりの少女。
誰よりも守りたいと願う――――



「……っ!!」

「教えてくれ」



次の瞬間、ウンディーネはクラウドの腕の中にいた。



「どうすればいい。どうすればお前を守りきれる強さを手に入れられるんだ……?」



すぐ近くで彼の声がする。彼の髪が頬に触れている。
心臓の脈打つ音がふたつ聞こえる。すっかり冷めたはずの体温が勢いよく上昇していく。
もはやウンディーネは彼の問いに答えられる状況ではなくなっていた。





「はあ!?なんやねんそれ!」





その時、急に微かな声が聞こえて。
ウンディーネは反射的に彼から離れ、クラウドもまた容易く彼女を解放した。



「なんでお前と一緒の夢見なきゃならんのや!わいはモモカと一緒の夢見たいのに!」

「知るかっつーの!オレなんか黄泉に添い寝してやりたいくらいなんだぞ!」

「ふ、ふたりとも落ち着いて……。みんな起きちゃうよ」



振り返れば、ヘビス、アリヤ、ネルーの三人が甲板へとあがってくるところだった。
アリヤとヘビスは二人の姿を目にした途端、にやりとした。ネルーは対照的にきょとんとしている。



「おぉっとこりゃいけない、邪魔しちまったかな」

「真夜中に逢い引きするなんてなかなか粋やないか。まっ、最近忙しかったからなあ?」

「なにか誤解してませんか?」



ウンディーネは顔が紅潮していくのを感じていた。
なぜ自分が否定の言葉をつらつらと並べているのか、彼女にはわからなかった。



「逢い引きなんかしてません!偶然会っただけです。ついさっき突然目が覚めて、汗びっしょりで暑くて――――」





汗びっしょり――――?





目の前の三人の顔にも汗が光っていることに、はたと気付いた。
振り返って見ればクラウドの背中もびっしょり濡れている。



「……ねえ、もしかして変な夢、見なかった?どこだかわからないところに……」

「……ピエロみたいな格好をした子どもがいて……」

「……どこなのか聞こうとするんだけど、体が動かなくて……」

「……子どもが何か言った瞬間に……」

「汗びっしょりで目が覚めた」



変なところから声がした。



「妙すぎるわね、全員が同じ夢を見るなんて。
しかもみんながみんな、涼む目的で甲板にのぼってきてる」



マストの影からモモカがあらわれた。



「モモカも……同じ夢を見たの?」

「まあね。しかも面白いことに」



今度は積み荷の影から月明かりの下へと人影が姿を見せた。
――――黄泉である。



「私も同じ夢を見た。……正直信じられないが」



自分の言葉を裏付けるように左右に首を振る。
それから彼らの方に歩き始めた。さすがアサシンというべきか、足音がほとんどしない。



「おかしく……ねえか?七人が同じ夢を見るとか……」

「そうですよね。いくらなんでもこんなの……」

「普通、七人が同じ夢を見て目を覚ましたあとに同じ行動をとるなんてありえるんか?」

「何千年も前に滅んだはずの古代人が、ついこの前ここに来たんだぞ?
今更ありえないことなんてないだろ。またドレットとかいう奴が関係してるんじゃないか?」

「それはあり得るな。メジストならばできなくもないだろう」

「だけど……よくわからないけど、君たちはずっと船で旅してるんだよね。
そしたらそのドレッドっていう人は、僕のこと知らないんじゃない?
僕は今日、この航海に参加したばっかりなんだし……」

「それも一理あるわ。だいたいあたしたちをここに集めて何しようって言うのよ。
メジストの目的はこの船を沈めることでしょ?こんなことしたって何の意味もないわ」





ちりん





発生するはずのない物音。
それは間違いなく耳に届いて、七人は身を潜めた。





「今の、鈴の音?」

「聞こえた……よね、確かに」

「何よ、この船にそんなもんは積んでないはずよ」

「誰かが身につけてた覚えもないな」

「鈴を持ち歩くような魔物もいないはずや」

「確かに、人間の物を持ち歩く魔物というのはあまり聞いたことがない」

「幻聴……ってことはないか。全員が聞いたんだよな?」



みんな、うなずいた。





ちりりん





「まただわ……まったくもう!」

「モモカ!」



制止を振り払い、モモカが一歩前に出た。



「あんた誰!?隠れてないで出てきなさいよ!
あたしたちをここにおびきだして、何が目的なの?返答によっちゃぶっ飛ばすわよ!!
睡眠不足は肌にめちゃくちゃ悪いんだからね!そこんとこわかってるワケ!?」



…どうやらモモカは、睡眠を邪魔されたことによほど腹をたててるようだった。
これ以上大声を出せば眠りの底にいる他の船員たちを起こしてしまいそうだ。



「ちょっと、聞いてんの?そこにいるんでしょ?
とっとと出てきなさいよ!こっちにだって我慢の限度ってものが――――」

「落ち着け、他の船員たちを起こすつもりか?」

「だけど、わけわかんない奴の相手なんてしてらんないわよ。バッカみたい!」



突然、明るく笑う声が響いた。
七人は一斉に振り返る。そこには――――



「ごめん、怒らせちゃったね。そんなつもりはなかったんだけど……」



悪びれもなく笑っているピエロ風の化粧をしている子ども。
水晶のように透き通った、高くも低くもない声。
先ほどまで七人の夢の中に存在していた子ども、そのままだった。



「どんな奴やと思っとったら子どもかいな!拍子抜けさせるのう」

「気を抜くなよ」



クラウドは目の前にいる子どもをよくよく見てみた。
化粧をしているので素顔や性別はわからない。年齢はネルーより若干下のようだ。
先ほどの鈴の音の正体はこれだろう。服に鈴の装飾がされていた。
あまりいい歓迎はされてないのにも関わらず子どもはにっこりと微笑んでいる。



……静かだ。何故か、そう思えた。



「久しぶりだね、ルゥ。いや……今はウンディーネか」

「えっ?」



ウンディーネは目をまばたいた。
会った覚えはまったくないという感じだ。



「何……?」

「覚えてないの?しかたないか、禁呪文を使ったんだもんね」

「なんでそんなこと知ってんだよ!?」

「さあ、なんでだろう」



子どもはとぼけてみせる。
アリヤからの問いにも答えず、子どもは再びウンディーネに向き直った。



「さて、質問。君を王国から連れ出したのは誰でしょう?」

「……あな、た?」

「正解。君を王国から連れ出して、彼と再会させた張本人」



子どもは満足そうに微笑んだ。
一方、ウンディーネはわけがわからなくなっていた。
自分の知らない記憶を引っ張り出されても混乱するだけだ。



「それで、あたしたちで何の用なワケ?
ここまできて"なんとなく呼んでみた"とか言ったら容赦しないわよ。
だいたいあんた、どうやってこの船に乗ったのよ?」

「それは秘密。それから"なんとなく"では呼んでないよ」

「じゃあ、何なの?」



不安そうにネルーが聞いた。少し怯えている様子だ。
すると子どもは目を閉じ、歌うように言葉を紡ぎ始めた。
あの日、ウンディーネに言ったことと同じ言葉を。



「……歴史に残る、世界を巻き込む大きな戦いがはじまるんだよ。もう時間がないんだ。
戦争が残すのは大きな傷跡と、怒りと憎しみと悲しみ。それだけ。何も得られない」

「そんなの、今の世界を見れば誰でも知ってるがな!今更そんな言われたって……」

「この戦争をくい止められるのは、君たち七人だけなんだ」



瞬間、空気が止まった気がした。



「えーっと……」

「お前なあ、オレたちは忙しいんだぞ?」

「そうや、ガキの遊びに付きおうとる時間はないで」

「……」

「わざわざおびきだしといて、その理由がくだらない冗談を言うため?
ふざけんのもたいがいにしなさいよ。もういい、あたしもう寝るわ!!」

「私も同意見だな。まったくくだらん」

「僕も……今日は疲れてるんだ」



子どもは小さく溜め息を吐いた。
時間がないのだ。早く彼らに自覚してもらわなければ間に合わなくなってしまう。
しかし唐突に真実を突きつけても信じてくれるはずがない。
その証拠に目の前の彼らは不満たらたらだ。
どうにかして、信じさせなければ――――



「質問、してもいいかな。
君たち七人に同じ夢を見させ、同じ行動をとらせたのは?」



今にも自室に戻りそうな雰囲気の彼らに、子どもは言葉を投げかけた。
七人は顔を見合わせ、それから子どもを見た。全員の答えは同じのはずだ。



「そう、正解」



子どもは嬉しそうな微笑みを浮かべた。
質問をもうひとつしよう、と再び言葉を紡ぐ。



「どうやってこの船に侵入したんだと思う?海の真ん中にあるこの船に」

「それは……」

「本気を出せば、君たち七人をここで殺してしまうこともできる。
それくらいの実力は持ってるつもりだよ。うぬぼれてるつもりはない」



沈黙が流れる。



「少し先なら、未来を予見することもできる。
このまま君たちが自覚しなければ、世界は帝国のものだよ。
この世は混乱に陥るだろうね。人間と獣人の戦争の日々がまた蘇るのかな」

「……何が言いたい」



痺れを切らしたように、黄泉が口を出した。
子どもは静かに微笑んだまま、答える。



「君たちにしかできないんだ。君たちだけが唯一止められるんだ。
そろそろ自覚しなきゃ。自分たちは世界を変えられる、七つの鍵なんだってこと」



子どもは七人の表情をひとりひとり読んだ。
黄泉だけはあまり詳しくはわからないが……みな戸惑っていることは確かだろう。



「信じるか信じないかは君たちの自由だよ。
また来るよ。その時に、答えを聞かせてくれると嬉しいな。
――――じゃあ、またね。そろそろ行かなきゃいけないんだ」



そう告げて、子どもは呪文の詠唱を始めた。
それが終わるか終わらないうちにウンディーネは体を乗り出す。



「待って!名前は――――?」



子どもの体が空中に消える。
かろうじて聞こえる声を残して。



「リィド――――」




























その名が意味するもの。


それは、導き。
























































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あとがき

ネルーが仲間に加わった11話でした。
ついに七人揃ったところで謎の子ども(リィド)が登場です。
ようやくリィドの正体が固まったのでこれからは考えて書けそうです。
さて、今度こそルィサ王国に着くことができるんでしょうか。

ではまた次回に。