木箱や樽の整理をしながら、モモカは小さくため息をついた。
新聞を見れば全世界で帝国に対する非難の声があがっているという記事が載っている。
反対デモを行ったり、国単位で抗議文を送ってみたりと随分と酔狂なことをしているようだった。
そんなことで丸く収められるわけがない。ドレットを止められる者など、誰もいない。

またひとつため息をついて、彼女は空を仰いだ。今は夕焼けが一番綺麗な時間帯だ。
いつもなら気分をよくするところだが、その美しい空の赤さに逆に苛立ちを覚えずにはいられない。
このまま航海が無事に進んでいってはまずい。嵐のひとつでも起こってくれれば事は万事解決に赴くのだが。
再度ため息をつきそうになった時、彼女の顔は喜びに彩られた。船の進行方向に大きな暗雲が立ちこめていたのだ。
モモカは甲板から降りて船長室へと続く廊下を駆け抜け、勢いよくドアを開けた。



「お父さん!嵐が来るわ!」

「…それ、夕立じゃねえのか?今ちょうど夕方だし…」

「何言ってんのよ!船の進行方向に暗雲が立ちこめてるし、それに風が強くなってるんだからっ!」

「わ、わかった!んじゃ一秒でも早くみんなに伝えてくれ。この船を傷つけるわけにゃーいかねえかんなっ!」

「オッケー!任せといてっ」



くるりとモモカは踵を返し、ドアも閉めず風のように駆けていった。
残された船長は先ほどとはずいぶん違う、むしろ正反対のモモカの様子に少しばかり動揺していた。
ついさっきまで彼女は陰鬱に沈み、いつもてきぱきとこなすはずの仕事もまったく手が動かないほどだったのに。
嵐が来ることがそんなに嬉しいのだろうか?何かが原因で暗くなっていた気持ちを吹き飛ばすほどに?
船長は胸の前で腕を組み首を傾げる。そして誰にというわけでもなく、ひとりつぶやいた。



「あいつ…いつから嵐が好きになったんだ…??」







モモカが船長に嵐の報告をした、およそ同時刻。


その小柄な少年は薪にするための木の枝や流木を拾いに海岸に出ていた。
年齢はおよそ十代前半。焦げ茶色の髪は長めで、彼の視界を少し邪魔してしまうほどだ。
両手に抱えるほどの木の枝を拾うと少年は屈んでいた体を起こし、海側から森側へと踵を返した。
森へと帰ろうと歩を進めようとした時、ちょうど肩にとまっていた小鳥が一声鳴いた。
不思議に思った少年は小鳥を見、背中を向けていた海を振り返り――――そして、理解した。

少し高くなってきた波を、少し強くなってきた風を、少し重くなってきた空気を感じたのだ。
今夜は荒れそうだなと再び森側へと体を向ける。砂を踏んで数歩進んだところで、少年は少し眉をひそめた。



(何か……予感がする。それになんだろう。この胸騒ぎは――――)



予感と同時に感じたなんともいえない胸騒ぎの原因を掴めないまま、少年は深い森の中へと入っていった。




































































カミノウタ



第8話

−風と雨と胸騒ぎと−





























































「ウンディーネ!緊急事態よっ!」



モモカはノックもせずにそのドアを開けた。
あまりにも勢いがよすぎて壁にぶつかった拍子に木製のドアに少し亀裂が走ったが
それには双方まったく気づかず、ウンディーネは読書中だったのか手元の本をぱたんと閉じた。



「ど、どうしたの?もしかしてまた魔物でも…」

「違う違う、嵐よ嵐!嵐が来るのよっ!」

「あ、嵐!?」



確かにそれは緊急事態だ。何かの拍子に船の底に穴が開けば沈没してしまうし、嵐に乗じて
強い魔物が襲ってくるとも限らず、難破して無人島に流れ着けばルィサ王国に到着することが遅れてしまう。
だというのに何故か目の前のモモカは嬉しそうで、嵐が来るのを心待ちにしている様子。彼女は嵐が好きなのだろうか?



「ねえモモカ。モモカって嵐が好きなの?なんだか嬉しそうだけど…」

「え?別に好きでも何でもないわよ?そんなに嬉しそうに見える?」

「うん、見える」



きっぱりとウンディーネは答えた。
しかし少しの沈黙を許すこともなく、モモカはさりげなく話題をすり替えた。



「あ…夕食の準備だけど、まだしなくていいわ。
いつ嵐が来るかも規模がどれくらいになるかもわかんないから、ここでじっとしてんのよ。
頑丈な船だから大丈夫だとは思うけど、自然ってのは気まぐれだしね。神サマにでもお祈りしてなさい!」

「う、うん。わかった」



ウンディーネが頷くと、よし!とモモカは腰にあてた。それから指を額に添えて軽い挨拶のポーズを取ると
今度は静かにドアを閉めてぱたぱたと廊下を駆け抜ける。そしてそのまま甲板に出て、空を仰いだ。
風がモモカの前髪を吹き、額をむき出しにする。先程よりも強い風、重く湿った空気が彼女の気分を更に高揚させた。
船中を駆けずり回って全員に知らせたため、甲板には何人かがすでに帆をたたむなどの作業を始めている。
その中にはヘビスやクラウドなどの姿も認められた。強い風に煽られ、少々作業しにくそうだ。

この船で長年働いているヘビスはさすがに手慣れたもので、てきぱきと作業を進めていく。
反対に嵐が初めてのクラウドは手つきがぎこちなく、ヘビスに指示されながら動いている。どうも妙な光景だ。
と、顔に何かが当たったような感触を覚えてモモカは再び空を仰いだ。見れば暗雲はもう頭上まで来ており、
嵐にはつきものの雨が少しずつ少しずつ降ってきているようだった。これから本格的な嵐がやってくるのだ。

モモカは腰に手をあて辺りをぐるりと見回した。波が高くなり始めているし、風もどんどん強くなってきている。
後は自分が手を抜き、自然が味方をしてくれれば間違いなく難破する。逆に沈没や転覆なんてしないようにしなければ。



「モモカーっ!そこにいんなら手伝ってくれよ!こっち手が足りねェんだ!」

「ん、わかったわー!今そっちに行くから待ってなさい!」



帆をたたもうとしている船員たちの元に駆けていきながら、まんざら神も敵ではないとモモカは思うのだった。

























































潮騒が聞こえる。
船の中で耳にするような微かな潮騒ではなく、体に響くようなはっきりとした潮騒。

体を動かそうとしたが、指が少し動いただけだった。
だがそれのおかげで意識が覚醒した。少しずつ、少しずつ視界が広がる。
意識が覚醒としたと同時に体に感覚が戻ってきた。一番最初に感じたのは――――



(……寒い)



そう、気温だ。どうやら自分は外にいるらしかった。
ぼんやりとしていた視界がだんだんとはっきりしてくる。



「!?」



焦点のあった目で"それ"を見た時、思わず手元の"砂"を握りしめ体を起き上がらせた。
目に飛び込んできたのは青空と森と砂浜。それから……ところどころ損傷した船。



「なんで……」



つぶやいて、思い出した。昨日の嵐だ。
どうやら船長の言っていた、ラーガム大陸の周辺にある小島のひとつに船は流れ着いたらしい。

立ち上がり体や衣服に付着した砂を払い落とす。手首を軽く捻挫していたようだが大したことではない。
外で倒れていたのは――――いつもの自分らしかぬ失敗だと思う。
作業が一通り終わったあと船内に戻ったのだが、あまりに揺れるために様子を見ようと甲板に出てしまったのだった。
辺りを見回すと先ほどの自分と同じように十数人かが倒れていた。
見たところ大怪我を負った者はいないようで、彼はほっと胸を撫で下ろした。



(残りは全員船の中、ってわけか……)



まだ気を失っている船員たちを起こそうか考え始めた頃、背後で誰かの呻き声が聞こえた。
思わず振り向くと、そこにはドレッドヘアーの青年の姿。



「!ティル!?」

「あ…クラウドですか…?」



まさか背後に彼が倒れているとは。クラウドはティルの傍らに片膝をついた。



「大丈夫か?」

「ええ、怪我はないようです。……船は、難破してしまったようですね」



ティルはゆっくりと立ち上がり、船を仰ぎ見た。
そういえば彼もヘビスと同じくずいぶんと長い間、船長と航海を続けているのだった。
だが船にそんなに愛着があるわけでもないらしい。ティルは損傷を痛むわけでもなくすぐにクラウドに視線を戻した。



「ここが船長の言っていた小島ですか。見たところ人の住んでいる形跡はないみたいですね」

「無人島か……。まあ人がいない方が、"厄介者"だとか言って無理に追い出されないだけいいかもな」

「そうですね。逆に歓迎されすぎるのも考え物ですし」



見たところ魚を捕るための小舟や網、木を伐採した跡などもまったく見当たらない。完全な無人島のようだ。
とりあえず…、とクラウドは胸中でつぶやいた。



「ティル、ここで倒れてる奴らを起こしてやってくれ。俺は船内を見てくる」

「ええ、わかりました。足を踏み外さぬよう、気をつけてくださいよ」

「ああ」



さくさくと砂を踏み、船のところまで来るとクラウドは一気に跳躍した。少し左足が痛んだが甲板にうまく着地し、周囲を注意深く見回す。
どうやら今は岩場にうまくひっかかって船が固定されているようだ。
クラウドは海にいかりを降ろし、損傷状態を確かめた。幸い船体にあまり傷はない。
損傷したのは甲板部分、それから船内だろう。ヘビスがオリーブで工具を買い込んでいたし、すぐに修理できそうだ。
甲板を降りて少し薄暗い廊下に出たが、ここもあまり傷はなかった。おそらく一番ひどいのは室内だ。

船の損傷状態を確かめるためにここに来たのはもちろんだが、残りの船員たちの安否を確かめるためでもある。
だがどこにいるかもわからない船員たちを探そうと船内をくまなく歩くのは疲れるし面倒である。
だがやはり船員たちの安否は確かめなければならない。あまり気は進まないが、"アレ"を試みるしかあるまい。

彼は何らかの文言を唱え、自身の喉に手をかざした。淡い光が薄暗い廊下を微かに照らす。
その光が消えた頃、クラウドは大きく息を吸い込んだ。






「起きろおぉーーーー!!!!」






びりびりと空気を振動させるその声は船の隅々まで行き渡り、砂浜にいるティルにまで少し聞こえたほど。
声を出し尽くすと、クラウドはため息を吐き出し甲板に出た。少し汗をかいている。

補助魔法 "ボイス"。一時的に腹筋と肺活量とを強化し、物凄い大声を出す魔法である。
ただし無駄に体力を消耗するし、少し疲れる。そのためこの魔法を使用する魔導師はあまりいない。
今のように大勢の人間を起こしたり、仲間とはぐれたりした時に使われることが多い魔法だ。

と、目覚めたのかぞろぞろと船員たちが出てきた。その中には黄泉やモモカ、ヘビスの姿もある。
見たところ全員そんなに外傷はなく、行方不明者もいないようだった。
――――が、かなり落ち込んでいる者がひとり。



「嗚呼ちくしょう、オレ様のフィーメル号…こんなに傷だらけになっちまいやがって…」

「ずいぶん落ち込んでるねえ、船長さん……」

「お父さん、この船かなり気に入ってんのよ。まぁ長年乗ってるからねぇ」

「っていうか、フィーメル号って……名前つけてたのかよ……」



驚愕(?)の事実にアリヤがショックを受けていると、ティルと砂浜で倒れていた他の船員たちが船に戻ってきた。
船は損傷してしまったが、船員たちはひとりも欠けていないし怪我もしていない。
これには船長もなんとか元気を取り戻し、修理班と料理班と島の探索班の三つに船員たちを手際よく分けた。
ちなみにウンディーネは料理班に分けられるかと思われたが、彼女は未だ料理についての記憶は完全ではない。
それゆえ島の探索班に分けられ、クラウド・アリヤ・ヘビス・黄泉と行動を共にすることとなった。

食事を取り、着衣の下に常時武器を持っている黄泉以外の四人が船内から自分の武器を装備すると島の探索が開始された。
しかし森の中へと入ったところで、彼らは目の前の光景にひどく驚くこととなる。



「な、なんやねんこの森!?」



そこは樹齢二百年は軽く超えているかと思われる木々がそこらじゅうに生息していたのだ。
これにはいつも冷静な黄泉も驚いたようで、珍しく感情を表に出して口を開く。



「この島は…長い間人の手に触れずに静かに時を過ごしていたのだろうな。これほどの森を見るのは初めてだ」

「っはぁ〜…すっごいなぁ…」



ヘビスが感嘆の声をあげ、木の幹に触れた。びっしりとついている苔が年月を感じさせる。
だが次の瞬間、彼の頭に何かが当たった。イテッとヘビスは小さく声をあげる。
鋭い痛みから誰かがぶつけたのだろうと確信した彼は、何処にいるともわからぬ犯人に向かって叫んだ。



「誰や!!」



返事はすぐに返ってきた。



「出ていけ!!」



まだ声変わりしていない、幼さの残る少年の声。
木々でふさがれている空を仰ぎ、周囲を見回しているとウンディーネがある一点を指差した。
そこには大木の枝の上に仁王立ちし、敵意を隠そうともしない少年の姿があった。
焦げ茶色の髪を少し長めにし、厚着をしている。手には続投のための小石が握られていた。



「出ていけって、いきなり何を――――、!?」



ヘビスは言葉を止めた。少年が枝から飛び降りたからである。少年が立っていた枝は、地上から約70mは離れている。
着地が失敗すれば死は確実だ。だが少年は、天使のようにゆっくりと地上に舞い降りた。



「なっ…お、お前…?」

「この島から出ていけ。ここは僕"たち"の島だ!」

「僕"たち"…?それってどういう…」

「! 来るなぁッ!!」



ウンディーネが一歩前に出た途端、少年は表情を一変させた。



「え…!?」



彼女は気づけば、いつの間にか宙に投げ出されていた。
とっさにクラウドが駆け出し、地面に叩きつけられる寸前の彼女の体をかろうじてキャッチした。
思わぬ助けにウンディーネは目を白黒させたが、今はそれどころではない。



「ウンディーネ、大丈夫か?」

「う……うん、ありがとう。それよりも、あの子…」



彼女は何が何やらわからない、という表情で少年に目を向けた。
文言もなしに空を舞い、一人の人間を宙に投げ捨てた。人間の力でそんなことが可能なのか?



「何すんねん突然!いきなり投げ飛ばすことはないやろ!?」

「うるさい!どうせ"みんな"を狙ってこの島に来たんだろ!!」

「待て。少なくとも私たちはお前の敵ではない。少しはこちらの言い分も聞いたらどうだ」

「外から来た奴らのことなんか信じられるか!いいか、この島には宝なんてない。
"みんな"だってどこにだっている普通の動物なんだ。わかったなら僕の前から消えろ!二度と姿を見せるな!!」

「このガキ!いいかげんにせんと――――」

「ヘビス、そこらへんにしとけよ」



さすがに堪忍袋の緒が持たなくなったヘビスをそれまで黙っていたアリヤが止めた。
彼らしかぬ落ち着き払った様子で、少年をなだめるようにゆっくりと話し出す。



「昨日、大きな嵐があったのはお前も知ってるだろ?オレたちの船は運悪く難破してよ、ここに流れ着いたんだ。
船は壊れてるところがいくつかあるからすぐに島から出ることはできねえ。
でも船の修理が終わったら、すぐにでもここを出て近くのルィサ王国に行くつもりだ。
だからお前たちを傷つけるつもりはまったくない。信じてくれ」



アリヤはそれだけ言ってしまうと踵を返し、「行くぞ」とヘビスたちを促した。
彼らは戸惑いながらも従い、来た道を引き返し海の方向へと消えていった。



「……人間なんか、信じられるか」



独りつぶやく少年が、木陰から注がれるいくつもの視線に気づけるはずもなく。

























































「アリヤ、どうして止めたんや?あーいうガキには一度ガツンと言った方が…」

「あ〜あ〜うるせぇなぁお前は。だいたいこの森に入ったのは島の探索が目的で、ガキと口喧嘩するためじゃねえだろ?」

「何言うてんねん、真面目に答えぇ!」



あれからヘビスはアリヤに文句を言いっぱなしだ。よほどあの少年との言い合いを妨げられたことが不服らしい。
対するアリヤも多くを語らず、文句を言い続けるヘビスを適当にあしらうだけ。
これでは二人のやりとりは永遠に終わらなさそうだ。そう踏んだクラウドが話を切り出した。



「それよりも、あいつの力のことだろ」

「うん……まるで誰かに持ち上げられて、そのまま投げられたみたいだった。なんだか風に吹き飛ばされたような…」

「風……あ!黄泉の風操力(ふうそうりょく)ってやつやないか?あいつ空も飛んでたみたいやったし…」

「違うな。あいつの髪は変色していなかった。もし私と同じ風操力なら、髪は銀色になるはずだ」



それから何かを考えるかのように黙り、少し経って黄泉は再び口を開いた。



「あれは恐らく…超能力と呼ばれるものだ」

「…超……能力?」

「ああ。知るものは少ないが、この世には大きく分けて四つの不可思議な力が存在する。
まずは魔力。これはお前たちもよく知っているだろう。ふたつめは霊能力。普通は見えない"何か"を見ることができる。
みっつめが私の持つ風操力。"風"を"操る""力"だ。そしてよっつめ。あいつが持っている超能力。
魔力と霊能力を持つ者は多いが、風操力と超能力を持つ者は極少数でしかない。
特に、あの子どものような力を持つ者が生まれるのは極々稀でしかないと言われている」

「それで?その超能力っていうのは、どんな能力なんだ?」



少しじれったくなったクラウドが黄泉を急かす。ああ、と頷いて黄泉は続けた。



「超能力というのもいくつかに分かれていてな。触れもせずに物を持ち上げたり、自在に操る"念力"。
触れることで心を読む"読心術"。障害物の向こうを見ることができる"透視"。
一瞬で目的地まで移動できる"瞬間移動"。未来を見ることができる"予知能力"。
このほかにもまだあるかもしれないが、私が知っているのはここまでだ。
…見る限り、あいつが使えるのは"念力"。自分を対象にすることで宙に浮き、ウンディーネを吹き飛ばしたのだろう。

「へえ……黄泉さんって博識なんですね。驚きました」

「昔、自分の持つ能力のことくらいは知っておけと父親に言われてな。その時にたたき込まれた知識だ」

「さーっすがオレの黄泉!物覚えもいいんだなっ!」

「近寄るな」



いつもの調子でアリヤはさりげなく黄泉の肩を抱こうと近寄ったが、
黄泉の有無を言わせぬ一言と、痛烈な肘鉄をお見舞いされたことで結局失敗に終わったのだった。
そうして砂浜に戻ると、船長が五人に気づいてこちらにやってきた。



「おう、どうだったよ?」

「どうもこうもあらへん。森には近づかない方がよさそうや」

「んん?どういうこった?」

「前々からこの島に住んでたガキがいて、それがどうも人間不信みたいなんや。
しかもなんか超能力とかいうごっつすっごい能力持ってて…」

「なァるほど。んじゃこのことは他の奴らに伝えとくわ。おめえらはゆっくり休んでれ」

「休んでれ、って…船は修理中やし、どう休んでろっちゅーねん」

「そうだぜ船長。なんか人手足りないみたいだし、船の修理手伝うって」

「そうか?わりぃなおめぇら…んじゃ、よろしく頼むぜ。
軍手とかは甲板とかに置いてあるからよ、自分で好きなとこ修理しちくれ。んじゃなっ」



一気にそう言うと、船長はせわしく船の修理に走っていってしまった。
故障のショックからは立ち直れたのはいいことではあるが、今はすっかり修理のことしか頭にないようだ。



「船長、かなり熱入ってるみたいやな…」

「おぉ、船への愛情は本物だな。俺と黄泉みたいだ、うん」

「死にたいようだな」



よほどアリヤと一緒にされることが嫌なのかそれとも機嫌が悪いのか、黄泉はアリヤの首に鉄爪を押し当てた。
しかし相も変わらずアリヤはそれを照れ隠しと受け取り、少しも慌てた様子を見せない。



「なんだよ黄泉、冗談だって!まったく照れ屋さんなんだから〜」

「いい加減にしろ。私にも我慢の限界というものが――――」

「おや、あなたたちは?」



黄泉の怒りが爆発する寸前、予想外なことに知らない声が耳に届いた。
見てみれば、そこには森から出てきたばかりの様子の男が数人。全員泥まみれだ。



「まあ貨物船の船員ってところか。船が嵐に遭ってこの島に流れ着いたんだ。
……えーっと……あんたたちはどちらさまで?」



鉄爪の切っ先を首に押し当てられたままでアリヤが言うと、もう必要ないと判断したのか黄泉は鉄爪を引っ込めた。
それを見て安心したのか、先頭に立っている男は恭しくお辞儀した。



「これは失礼。私どもはこの島を研究に来た科学者です」

「は?なんだってこんな島を……」

「あなたたちだってあの森を見たでしょう?
長い間まったく人の手に触れず、そのままの姿で成長してきた素晴らしく美しい森だ。
そのような植物には普通の植物にはない何か特別な力を持っているかもしれません。
科学者としてこれを研究対象にしない手はありませんよ。文化の発展にも繋がるでしょう」



ですが、と男は言葉を濁す。当然彼らはその様子に疑問を抱かずにはいられない。



「あなたたち……森の中で少年と会ったでしょう」

「ああ、会った会った!どうなっとんねんあの糞ムカつくガキは!?」

「実は私たちも、あの少年にはほとほと困らされておりまして」



眼鏡のずれを直しながら男は言う。その目に策略の色をよぎらせて。



「研究のため、森の中にある植物を持ち帰りたいのですよ。
ですが、あの少年と少年が操る動物たちに幾度となく邪魔されまして……。
森の中にある植物ならば、小枝でもなんでも構わないのですがねえ」



男はため息を吐いてみせる。
背後にいる他の男たちも嘆くようなため息を吐いた。



「大変ですね。このままじゃ帰れないんじゃ……」

「嗚呼、美しく優しきお嬢さん。わかっていただけるのですね。
そうなのです、何かまとまった物がないと研究所に帰ることができないのです!
あの少年が許してくれない限り、私たちは一生この島に暮らさなければならないことに……」



目に涙がきらり。背後の男たちも大袈裟と思えるほどの嗚咽をあげて泣き始めた。
大の男が揃いも揃って情けない姿である。

疑問がひとつある。確かにあれほどの樹齢を重ねた森は珍しいし、研究したいというのは頷ける。
しかし、まさかあの森がこの島以外には存在しないというわけではなかろう。他所にもあれくらいの森はあるはずだ。
別にこの島の森でなくてはならないという理屈はない。大陸のまわりには他にも小島が浮かんでいるのだから
妨害者がいるのならば潔く諦めて他の島を探索してみれば良い。彼らは何故それをしないのか?
この疑問を遠慮無くぶつけてみると、答えはあっさり返ってきた。



「森が存在するすべての小島を探索した結果、ここが一番研究対象として優れていると判明したのです。
上の人間からもここの植物性物質を持ち帰るように命じられているゆえ、他の小島を頼るわけにはいきません」

「はあぁ……あんたたちも難儀なやっちゃなあ。けどあのガキを説得するなんて芸当でけへんやろ。
なんであんな年端もいかんガキがこんなとこで暮らしとるのかもようわからんし……」

「あ、それでしたらこの私が説明を」



背後で泣いていた男のひとりが涙を拭いながら、先頭の男の隣に並んだ。
なんとなく、どことなく嬉しそうにしているように見えるのは目の錯覚だろうか。



「あの少年に不思議な力があるのはご存じですか?」

「ああ、超能力……だったかな」

「そうです。あれは使い方次第ではとても素晴らしい力になると思うのです。
それを人を追い払い、動物を操るためだけに使うなど……実にもったいないお話しです」

「お前たちは科学者なんだろ?あの力を研究したいとは思わないのか?」

「そりゃしたいのは山々ですよ。しかしそうすればあの少年の自由を奪ってしまうことになる。
まだ幼い少年を狭苦しい研究所の中に閉じこめてしまうことなど私たちにはできません。
……ああ、話しが脱線してしまいましたね。実はあの少年は、自分の町から追い出されたのですよ」



その瞬間、動揺とはまた違う感情がアリヤの瞳の中で揺れ動いた。
それにはまったく気付かなかったのか、男の話はアリヤを置いて歩き出す。



「人間というものは異端を嫌います。おそらく少年もあの力ゆえに異端者として町を追い出されたのでしょう。
可哀相に……少年は小さな船に乗って海を彷徨い続け、この無人島にたどり着いたのです。
そして動物たちを心を通わせ……月日が経っていくにつれて人間を信じられなくなってしまったものと考えられます」

「そやったんか……それでわいらを見つけたとたん攻撃してきたんやな。
なんや、怒鳴ってしもうて悪いことしたなあ……」

「しかし――――」



しんみりしはじめた雰囲気を眼鏡の男が一蹴した。



「いくら不幸な境遇に置かれているとはいえ、無関係の人間を襲うというのは感心できる行為ではない。
我々もこの研究をそうやすやすと諦めるわけにはいかないのです。なんとしてでも少年を説得しなければ……」

「そうはいっても今の現状じゃあ八方塞がりですよ。話しさえまともに聞いてくれないのですから」



科学者たちは一斉に溜め息を吐く。陰鬱な雰囲気がその場を包み始めて、彼らは互いに顔を見合わせた。
これは科学者たちの問題であって、船の修繕が目的である彼らにはまったく関係のないこと。
だとしてもこのまま放っておけるほど冷血なわけでもない。しかしあの子どもを説得するのは骨が折れそうだ。
だからといって目の前で困っている人間を見捨てるというのも――――嗚呼、無限ループ。
あちらの陰鬱な雰囲気がこちらに伝染しかけてきた時、なんと彼が進み出た。



「オレが説得する」

「アリヤ!?」

「それはありがたい!しかし大丈夫ですか?」

「そうそう。ウンディーネが吹っ飛んだの見てへんなんて言わせへんで!」

「大丈夫だって。オレはこれでも結構タフなんだぜ!」



そう言って胸をドンと叩いてみせる。少々心配そうに科学者たちは顔を見合わせたものの、
一斉にアリヤの周りに群がり、口々に感謝の声を上げはじめた。中には泣き出す者までいて、少々大袈裟すぎるほどだ。
やがて落ち着いた科学者たちは二、三日ほど間を空けてからの方がいいと助言を残してその場を去っていった。
アリヤは笑顔でそれを見送っていたが、彼らの姿が見えなくなるとすぐにその笑みを引っ込めた。



「アリヤ、どうかしたか?」

「わかった、引き受けたはいいものの不安になってきたんやろ!
ほいほいと安請け合いするんやからそうなるんやで。まったくお前はしゃあない奴やのう」

「んなわけないだろばーか。オレに任しときゃ万事解決だっての!なあ黄泉?」

「猛獣に食われてしまえ」

「やだなあ黄泉ってば!オレのハートは君がしっかりと掴んでるんだぜ。そう易々とは死ねないさ!」

「……アリヤ、それ以上黄泉の神経を逆撫でしない方がいい。本気で殺されるぞ?」



黄泉の押し込めた殺気を感じ取ったクラウドがアリヤに忠告した。
いつもなら「なんだよクラウド、オレを愛してくれている黄泉がそんなことするはずが……」などとのたまうのだが
何か悪いものでも食べたのか、今回は大人しく引き下がってしまった。



「そうだな、今は一刻も早く船を直さなきゃいけねえもんな。うーっし、気合い入れてファイトだ!行くぜクラウド!」

「え?あ、ああ……っておい、離せ!」



一人合点してしまったアリヤはクラウドを言葉通り引きずり、そのまま船目指してまっしぐらに走っていった。
その場に残された三人は疑問符を浮かべるばかり。黄泉は覆面をしているのでわからないが。



「アリヤさん、どうしたんだろ」

「さあ……森の中で何か拾い食いでもしたんちゃうか……?」

「森の中であの子どもと会ってから何か様子がおかしいようだな」



そういえば、とヘビスは胸中でつぶやいた。
アリヤとはもう四年ほどの付き合いになるが、フィーメル号に来る以前のことはまったく知らない。
知り合い仲良くなってから一度だけ聞いたことはあるが、うまくはぐらかされてしまったのだ。
まあ無理に聞くこともないかとヘビスもその場を諦め、結局彼の過去はまったく知らぬままここまで来てしまったのだった。



(アリヤとは仲間やし、親友って言うてもいいくらい打ち解けとる。けど………)



ヘビスとて別に無理に聞き出してまでアリヤの過去を知りたいとは思わない。
ただ、親友であるアリヤのことを何も知らないというのは――――



「ヘビス、どうしたの?」

「えっ?」



はっとして顔を上げると、そこにはウンディーネの綺麗な顔があった。



「なんだかぼーっとしてたみたいだけど……大丈夫?」

「ああ、すまんすまん。ちーっと考え事してただけや。……って、黄泉はどこ行ったんや?」



ヘビスはきょろきょろと周囲を見回した。
ちょっとばかり考えに耽っていた間に、いつの間にか黄泉の姿が消えている。



「黄泉さんは船の中に荷物を取りに行ったわ。私はこれからモモカのところ手伝いに行くけど、ヘビスはどうする?」

「そやな、船の修理手伝ってくるわ。モモカんとこ行っても殴られるだけやからな」



ヘビスがそう答えると、ウンディーネは小さく笑い「それじゃ」とモモカたち料理班のところへと駆けていった。
彼女の見送りを終えると、ヘビスはトンカチが釘を叩く音が響く船へと歩き始めた。

























































無人島に流れ着いてから三日が経った。
修理は順調に進み、船もだいぶ元の姿を取り戻しつつある。
この調子で直していくことができれば三日後にはこの島を出ることができそうだった。



そして、その日の夜のこと。



修理が一段落したところで夕食を取り、今日の作業は終了した。
今は潮騒を子守り歌にみな眠りに落ちている。…ただひとりを除いては。

体を毛布にくるませて、アリヤは眠れずにいた。
さすがに北の大陸に近いだけあって夜はだいぶ涼しいようだ。
ふと仰向けになって、夜空が視界に入った。おびただしい数の星々が瞬いている。
こうやって地べたに直接体を横たえて眠るのは何年ぶりだろう。
よっと、とかけ声を小さくあげて立ち上がる。衣服に付いた砂をぱんぱんと払うと途端に寒さが体を襲った。
暖かな毛布が体から滑り落ちてしまったのだ。慌てて防寒着を身にまとい、アリヤは白い息を吐いた。



「…?」



視界の隅に一筋の煙を見つけた。
不思議に思い視界の真ん中にその煙を寄せると、小高い崖の上に微かに赤い光が見えた。
たき火のようだが船員は全員ここにいるし、何より夢の世界に行ってしまっている。
ということは――――



(…あいつ、か)



アリヤの脳裏に浮かんだのはあの少年の姿。
そういえばあれから森にはまったく入っていなかった。忠告されたこともあったし、船の修理で忙しかったからだ。
ためらいもなく、彼は毛布を手に森の中へと足を運びはじめた。

"二度と姿を見せるな"。
あの少年はそう言ったが、科学者たちとの約束もある手前、このまま引き下がるわけにはいかなかった。


空に上がる煙を目印に道を阻む枝を折らないように慎重に進んでいくと、やがて森を抜けることができた。
目の前には崖へと登る緩やかな坂。煙もその先で上がっている。アリヤはゆっくりと坂を登りはじめた。
坂を登り切ると―――思った通り。小動物たちに囲まれた少年がそこでたき火をしていた。
ここが寝床なのかそれとも考え事に耽っているのかはわからない。
アリヤがそっと近づくと、少年のすぐ隣で眠っていた狐が顔を上げ、こちらを振り向いた。
それに気づいた少年も同じくこちらを振り向き、そして弾かれるようにして立ち上がった。



「何しに来たんだ。二度と姿を見せるなって言っただろ!」

「んー、眠れなくてな。ふと見たらたき火の煙が上がっててよ、気になって来てみたんだ。
……あと、お前と話しがしたくてよ。話しくらいは別にいいだろ?」



そう言ったアリヤを少年は睨んだが、足下で警戒している小動物たちに気づき優しく声をかけた。



「……ごめん、先に戻ってて。あいつとの話しが終わったらすぐに戻るから」



言葉がわかるのか小動物たちは頷いた(ように見えた)。
少々名残惜しそうではあったがアリヤの横をすり抜け次々と坂を下りていく。



「で?話しって?」



先程とはまったく違うトゲトゲとした口調でアリヤに言葉を投げかける。
こりゃまいったなとアリヤはぽりぽりと頬を掻き、とりあえず「隣いいか?」と尋ねた。
少々ためらったものの意外なことに少年は頷き、その場に腰を下ろす。
アリヤも足を進めて少年の隣に腰を下ろし、手に持っていた毛布を少年の体に掛けてやった。



「な、なに?」

「オレは防寒着着てるからいいけどよ、お前はやっぱさみぃだろ?」



少年は驚いた表情でアリヤの顔を見つめていたが、やがてむすっとした表情ですぐに燃えさかるたき火へと視線を戻した。
それに軽く苦笑いを浮かべながらも、アリヤは口を開く。



「オレはアリヤ。お前は?」

「ネルー」

「そっか、ネルーか。確かにネルーって顔してんな、お前」

「……どんな顔だよ、それ」

「まぁ気にすんな」



アリヤはけらけらと笑うと、おどけた感じから打って変わって真剣な口調で話しはじめた。



「んで、ネルー。お前、なんでここまでして人間を信じようとしねえんだ?」

「お前なんかに話す筋合いはない」

「なんだよ、そこまで嫌う必要はねえだろ?」

「……人間は私情ばっかり持ち込んで、結局は自分のことしか考えない汚い生き物だ。
自分が得する時だけ動いて、何の得にもならないような時には何もしようとはしないじゃないか」



少年…ネルーの言葉に思わずアリヤは頭を抱えそうになった。これはずいぶんと重症だ。
うまく説得できるだろうか。ここまで来るとちょっと自信がなくなってきた。



「どんなことがあったかは知らねえけどよ……悪いトコしか見てねえな、お前。
確かに人間は嫌な生き物だ。気まぐれだし、自分の利益ばっか考えてるし。
だけどよ、短所もありゃ長所もあるだろ?人間だってひとつやふたつ長所はあるって。
オレが働いてる船はすっげえいい奴ばっかりでよ、毎日がすんげぇ楽しいんだ。
毎日毎日働き通しだけど、嫌な気持ちになるってことは極々たまにしかねえ。
オレたちの仕事はひとりひとりの役割をちゃんとこなさねえと他の奴らに迷惑がかかっちまう。
だからなんつうか……オレたちゃ、いつもいつも助け合って生きてんだ。
それに本当に全員が全員お前の言う人間だとしたら、オレはお前んとこにこんなこと話しに行かねえよ」

「……なにそれ」

「お?」

「どうしてそこまで、人間を信じられるの?」

「え?どうして、って……」

「だってわからないんだ。何の疑いもなく人間を信じるなんてこと、僕にはわからない。
ねえ、教えてよ。どうしてアリヤはそこまで人間を信じられるの?」



ネルーが初めて人の目を見て話していることにアリヤは少し驚いた。
あんなに自分のことを警戒し、敵視していたはずなのに。
彼は本気で答えが知りたいのだとアリヤは理解し、そして答えを決めた。



「まずそれを説明すんには……オレの昔話、しなきゃな」

「昔話?」

「ああ」



アリヤはポケットから煙草を取り出し、口にくわえたき火に近づけた。煙草の先端が赤く燃える。



「遠い昔…ってほどじゃねえけど、まだ戦争が続いてた頃のお話だ」



煙草を口から離して深く息を吐くと、たき火のそれとはまた違う煙が夜空を舞った。




















































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あとがき

少々短めな八話でした。
ようやく最後の主要人物が登場ですね。説得しなければなりませんが。
何か新しいのが出てきていますし、前八話とは展開がちょっと違ってきています。
前八話を読んだ人ならおそらく見当はつくと思います。
さて、アリヤはネルーを説得することができるんでしょうか。

ではまた次回に。