「回復魔法が効いたんでしょう。一週間ほどすれば完治しますよ。
痕は残るでしょうが……まぁ、あなたにとってはあまり意味のないことですね」
「ああ、そうだな」
若い船医はくるくると少年の腕に包帯を巻いていく。
手当が終了すると少年は無数の傷跡が残っている素肌の上に、先程とは違う衣服を身にまとった。
あの時に着ていた服は上も下も海水でびしょびしょになってしまっていたし、上着は血で汚れてしまったからだ。
「いつ見ても、すっごい傷跡だよなぁ…。お前、自分ひとりじゃかなわねぇ魔物とでも戦ったのか?」
医務室まで同行したアリヤが感嘆の声をあげる。
背中、肩、腕…いたるところに傷跡が残っている。いずれも魔物の爪痕のようだ。
まぁそんなところだと少年はぽつりと答えた。
「しかし…波が荒れていたわけでもなかったし、クラーケンが船体を揺らしたといっても
あなたくらいの実力ならば海に落ちるなんてことはないと思いますが……?」
船医は小首を傾げた。ドレッドヘアーが色黒の顔にかかる。
あれほどのクラーケンを倒せるのならば、まさか船体が揺れたくらいで
海に落ちるなどというドジを踏むこともないだろう。
「あぁ、それか…」
その問いに対して、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる少年。
魔物撃退のために、船長と二人で甲板に出た一時間前のことを少年は鮮明に思い出していた。
◆
一時間ほど前のこと。
船長と少年は、目の前に存在しているクラーケンを撃退しようと甲板に出ていた。
どうやらこの船では新入りの戦闘用員が入った場合、まず船長と二人で海の魔物を撃退するのが風習らしい。
巨大なクラーケンの姿を視界に入れて、船長が額に小手をかざした。
「おおー、こりゃまたでっけークラーケンだなぁおい!
だが、あれくらいオレ様の槍でイチコロだ!新入り、わりぃがてめえの出番はないぜ!」
「本当かよ…?」
ビシィと指を指された少年は間髪入れず疑惑の声をあげたが、船長が自信たっぷりに頷いた。
「新入り、てめえはまだオレ様の槍の腕を見てないからそんなことを言えるんだぜ!!
見てろ、こいつはオレ様一人で倒してやる!」
「……わかったよ」
いったん抜いた剣を鞘に収めて、少年は溜め息をついた。
(いったいこの船長は、何を一人で熱くなってるんだ…?)
少年はこの船を選んだことを、少し後悔しはじめていた。
当の船長はわけのわからないことが殴り書きしてある帽子を被っているし、
なんだかやけに船員は多いしでこの先が心配になってきたことが拭えない。
しかも、昨夜港で発見された身元不明の少女を乗せたまま出航するという有様。
――――ふと、部屋に運ばれていく少女の姿が脳裏に蘇る。
(視界の隅で見ただけだからよくはわからなかったけど……もしかしたら、あいつは……)
「新入り!!」
ハッと我に返ると、すぐそこにクラーケンの触手が迫っていた。
だが対処しきれない距離ではない。
とっさに剣を抜き、触手を切り落とそうとした時だった。
「あぶねえぇぇぇぇ!!!」
「は!?」
次の瞬間、少年は空中に投げ出されていた。
ゆっくりと落ちていく感覚の中で捉えたのは、自分を突き飛ばした直後の船長の姿。
海面に叩きつけられる時、少年はこの船を選んだ過去の自分を強く恨んだのだった。
カミノウタ
第2話
−少年−
あの後、すぐに少年は船長達に医務室に連れていかれた。
回復魔法を施したといっても完全に怪我が治ったわけではない。適切な治療が必要である。
ウンディーネは自分の責任だと看病の手伝いを申し出たのだが、食事を摂ってゆっくり休んだ方がいいと反対された。
自分の身を案じてくれての発言だし、一応港で倒れていたのを保護してくれたので無理に押し切ることもできない。
ヘビスに食堂へと案内されたものの食欲が出ず、結局割り当てられた部屋に戻ってきてしまったのだった。
先程の晴天とはうって変わって穏やかな雨が降りしきる空。
それを窓越しにぼうっと見つめている時のことだった。
コンコン
「あ、はい!」
誰かがドアをノックした。慌ててウンディーネは返事を返す。
ガチャ
「なによ、憂鬱そうじゃない?」
「え…」
部屋に入ってきたのは少女。右手に一人前の食事が乗っているお盆を乗せている。
キラキラと輝く真紅の瞳につやりとした光沢を持つ金色のサラサラとした髪。
だが、外見は人間の少女ではない。
頭に白い猫耳がぴんと立っていたし、お尻からはしっぽが出ていた。
俗に獣人と呼ばれる人種だが…彼女の場合は人間とのハーフだ。
後ろ手にドアを閉めると小さなテーブルの上にお盆を乗せた。
「もしかして、あいつが怪我したこと気にしてんの?」
少女の言葉に頷くウンディーネ。しかたないわねと溜め息をつく。
「絶対あんたのせいじゃないわよ。あいつが勝手にしたことなんでしょ?」
「あの人がかばってくれなかったら、私……」
「だから心配しなくてもいいの!ちゃんと医務室で手当てされたし、安心しなさいよ」
「でも!」
「はっは〜ん…」
少女の説得に反論しようとするウンディーネだったが、少女が妙な声を上げたので思わず言葉を止めてしまった。
少女は腰に手を当て、ウンディーネの顔を覗き込むように体をかがめた。さらりと髪が肩にかかる。
「あんた、あいつに惚れたわね?」
「へ?」
「ここまであいつのこと気にかけるなんて普通じゃないわよ!
好きになっちゃったんでしょ?そうねぇ、あいつ結構イケてるもんねぇ?」
「べ、別にそんなわけじゃ…!」
「いいのよ隠さなくても!ったく、あんたみたいな子に惚れられちゃうなんて、クラウドも隅に置けないわね!」
(え…!?)
予想もしなかった名前が少女の口から出たことに彼女は驚いた。
まさか――――いや、単に同じ名前なのかもしれない。
聞き間違いということも考慮して、ウンディーネは少女に恐る恐る訪ねた。
「あの…今…クラウド、って……」
「ん?ああ、あいつ名乗らなかったのね。
そうよ、あいつクラウドっていうの。名字は知らないけど……何?なんか心当たりでもあんの?」
「はい。その…昔知り合った人と同じ名前なんです。五年前から会ってませんが…」
「へぇ、世の中って狭いのね〜。ないだろうけど同一人物だったりして。そのクラウドは名字はなんつーの?」
興味しんしんの少女にルーベメルですと答えると、聞いたことがあるとちょこっと首を傾げた。
どこかで名前だけは見聞きしたのかもしれませんねとウンディーネは微笑む。
「長年続いてる騎士の名家ですから。でも、本人はそういうの嫌らしいですけど」
ふぅん、と少女は返事をすると何かを思い出したかのように声を上げたかと思うと、
不思議そうな顔を浮かべているウンディーネの隣に腰掛けた。
「敬語なんか使わなくていいわよ!あたしそういう堅苦しいの苦手だから」
「うん、わかりま……わかった」
ぎこちない彼女に微笑んで、まあそれはともかくと少女は立ち上がった。
「あんた、ご飯食べなかったんでしょ?ここに置いたから、ちゃんと食べなさいよ!」
もう打ち解けている少女に親しみを覚えて、彼女はこくんと頷いた。
それを確認した少女はドアのノブに手をかけようとしたが、また何か思い出したのかくるりと振り返った。
「名前言うの忘れてた。あたし、モモカ・ラキャット。
さんとかちゃんとかなんかつけられるの苦手だから、呼び捨てでいいわよ。
…で、あんたはなんていうの?」
「え……」
モモカの質問にウンディーネは困ってしまった。
まさか本名を名乗るわけにはいかないだろう。偽名を使うしかない。
読書が趣味であった彼女は、とっさに昔読んだ本の登場人物の名前を答えていた。
「えぇっと、ルゥ!……ルゥ・クロス、っていうの」
「へぇ、結構可愛い名前じゃない。そんじゃま、よろしくね!
しつこいようだけど、ご飯ちゃんと食べなさいよ!」
ドアノブを回し、ドアを開けると指を額に添えて軽い挨拶のポーズを取る。
ウンディーネ―――ルゥが頷いたのを確認すると、モモカはパタン、とドアを閉めて今度こそ去っていった。
そこで、溜め息をひとつ。
モモカはああ言っていたものの、やはり少年――クラウドのことは気にかかった。
それからもうひとつ、彼女は大きな疑問を抱えていた。
彼は……どうして見も知らぬ自分をかばってくれたのだろう?
いくら考えても答えは出ない。
…いや、出ていないわけではなかった。
それはひとつの、可能性――――
(自分はクラウド・ルーベメルと申します。恐れながら、今日から貴女の護衛に――――)
違う!
(そんなはずない!名前が同じなのだって、きっとただの偶然……)
だが……違う人物だとしても、いくつか疑問が浮かび上がる。
出会った時、彼から感じ取れた懐かしさは?
彼の瞳の中で、微かに揺れていた動揺は?
もし彼が五年前の"彼"ならば、すべてのつじつまが合うのだ。
◆
ルゥが目覚めると、あれから三日間続いた雨は嘘のように晴れていた。
船もとっくに停泊しており、廊下では船員がどたばたと走り回っていた。
これはどうしたことかと戸惑っていると、その中に見覚えのある赤毛を見つけルゥは思わず声をかけた。
「あ、アリヤさん!いったいこの騒ぎはなんですか!?」
「ロティに着いたんだよ!ここはこの大陸で二番目に栄えてる大きな街だからな!」
ルゥに一言そう言うと、アリヤはそのまま人混みの中に消えてしまった。
(ロティ……二番目に栄えている大きな街……)
あまり聞き覚えのない街だ。船乗りたちの間ではとても有名らしいが…。
「おい」
「!?」
急に呼び掛けられたからなのか、彼女は驚いて背筋をピンと伸ばした。
後ろを振り返ると例の少年、クラウドの姿。
何をそんなに驚くのかと、不思議そうにしながらもクラウドは尋ねる。
「そんなところでどうしたんだ?」
「いいえ、特に何も。クラウドさんは?」
「敬語もさん付けもいらない。………、あー、えっと……」
「あ。……ルゥ・クロス」
「ルゥ、か。……俺は、別に街へ行ってもすることないしな。ルゥはどうするんだ?」
「私は、街を回ってみようと思ってるの。なんだか楽しそうだし」
「そうか。…迷わないように気をつけろよ」
(あれ?今、笑った…?)
間違いない。先程のクラウドは柔らかい表情を浮かべていた。
最も、今はいつもの無表情に戻ってしまっていたが。
「じゃあな」
そうこうしているうちにクラウドも人混みの中に消えようとしていた。
慌ててルゥはその背中に声をかける。
「あ、あのっ!」
その声に反応してか、ぴたりとクラウドの足が止まった。…背を向けたままだが。
「帰ってきたら、聞きたいことがあるの!…いい?」
………しばしの沈黙。
やがて振り向き、一言。
「…ああ」
微かに、微笑みながら。
◆
それから数分後、大荷物を抱えている少年がひとり。
ヘビスである。
ヘビスはあの船では買い出し係を務めている。俗に言うパシリだが、彼は結構な買い物上手。
それに人一倍体力に優れていて、買い出し係にはぴったりなのだ。
だが今回は調子に乗りすぎて買いすぎたようだ。足取りが頼りない。
肝心の荷物はかろうじて目の前が見えるくらいまでうず高く積まれていた。
(こんなことなら、アリヤかクラウドに来てもらうんだったなぁ…)
己の未熟さに落胆しながら、よろよろと船に戻るヘビス。
だが異常とも言える人の多さのおかげでなかなか進めない。
ようやく船に戻り、倉庫に荷物を置いた時にはヘビスはすっかりくたびれていた。
「あー、しんどかった…」
ヘビスはコンクリートの床にぺたりと座り込んだ。倉庫の涼しい空気が気持ちいい。
しかしこれで彼の仕事は終わり。今日一日、夕方までは自由時間である。
しばらくここで汗がひくのを待ちながら、ヘビスはこの後どうするかを考え始めた。
(モモカを誘ってみよかなぁ。あぁでも結局断られて、瀕死になるのがオチかもしれん。
せっかくの自由時間は貴重に使わな……瀕死になってるわけにはあかんよなぁ…)
そこまで考えて、ヘビスはうーんと伸びをした。
と思えば、ヘビスは突然弾かれたように立ち上がった。
なにか良い考えでも浮かんだのだろうか?
「そや!ロティでモモカに合うアクセサリーでもさがしてプレゼントしよ!きっと喜ぶでー!」
――――結局、彼はモモカ一筋のようだ。
倉庫から自分の部屋へ戻り、財布をポケットに入れると
先程の重い足取りとは比べ物にならないくらい軽い足取りでヘビスは街へと飛び出した。
食料などの買い出しに向かう時、モモカが好みそうなアクセサリー店を見つけた彼は
とことこと歩を進めると同時にその店を探そうと、きょろきょろと首をふる。
「確かここらへん…。お、あったあった!」
案外簡単に見つかったその店は、ショーウィンドウに色とりどりのペンダントやイヤリングが飾ってあった。
さっそくそこで品定めでもしようと人混みに逆らって進もうとした時、見覚えのある艶やかな銀髪を見つけた。
(あそこにいるのは――――ルゥ、か?)
モモカから聞いたので、すでに名前は知っている。
ルゥはとても綺麗な銀髪だったし、それに見合う服装だった。見間違えるはずがない。
そこでまた、ヘビスに良い考えが浮かんだ。
(そや、ルゥにモモカにプレゼントするアクセサリー選び手伝ってもらお!
女物はようわからんし、ルゥならきっとモモカに似合うの選んでくれるやろ!)
ヘビスは彼女の名を呼び、再び人混みに逆らおうと歩き始めた。
◆
「綺麗……」
一方あの後、上機嫌で船を出たルゥはあるアクセサリー店のショーウィンドウ前で足を止めていた。
思わず溜め息が口から漏れる。王族といえども必要以上のアクセサリーはつけていない。
王族の血が流れている王女の彼女でも、きらびやかな宝石で装飾されているアクセサリーに憧れの念を抱いているのだ。
今彼女が身につけているアクセサリーといえば、赤い球体のイヤリングのみ。可愛いペンダントでも欲しい気分だった。
―――それと同時に、二日前まで暮らしていた自分の王国が恋しい。
どうしてあの子供は自分を、あの船に乗るように仕組んだのだろう?
大戦争が起こるとはいったい……?
「おーい!ルーゥー!!」
とそこへ、聞いたことのある声に自分の名を呼ばれてルゥは反射的に振り返った。
だが。
「!?」
背後から何者かに口を塞がれてしまった。どう見てもこのごつい手は男の手だ。
ルゥの耳元に見知らぬ男が囁いた。
「おとなしくしていれば何もしない…まぁ、おとなしくせざるを得ないがな」
彼女の鼻と口に睡眠薬を染み込ませた布が当てられた。意識がだんだん遠くなっていく。
遠いところで、ヘビスがルゥの名前を叫ぶのが聞こえた。
◆
「くそっ!ルゥがさらわれてしもうた!!」
ヘビスは悔しさのあまり足下の小石を蹴り飛ばした。
今すぐにも彼女をさらった奴らを追いかけようとしたが、人混みに揉まれ思うように進めない。
そうこうしているうちにも、ルゥと奴らの姿は消えてしまった。
彼女をさらったのはひとり。ずいぶんと筋肉質の男だった。
(早く船に戻って船長に伝えんと…!)
モモカへのプレゼントも忘れて、ヘビスはなんとか人混みを掻き分ける。
船からそんな遠く離れてはいない。全力疾走すればすぐに戻れるだろう。
(なんでルゥは誘拐されたんや!?確かにめっちゃ綺麗やけど…。ハッ!まさか人身売買か!?)
……などと彼女がさらわれた理由を推測してみるが、どれもしっくりと来ない。
やがて考えを巡らせているうちに港が見え、船も見えてきた。
「大変やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ヘビスは船の中に入るなり声の限り叫びながら走り回った。
しかし船には誰もいないのか彼の声は虚しく響くだけ。ヘビスは息を切らしながらも
船室の中をひとつひとつ見ていくが、驚いたことに人っ子ひとり見あたらない。
「な、なんでこんな時に限って……」
もう最後の頼みの綱だと船長室の扉を開けた時、思わずヘビスは息を呑んだ。
船長室にはハザードとモモカとクラウドがいたのだ。ヘビスの口から歓声が漏れる。
「ちょっとヘビス、騒がしいわよ。さっきから何なのよ?船ん中走り回って…」
「そうだぞ、ちょっとは落ち着けや」
「大変って……いったい何があったんだ?」
三人のうちクラウドだけが理由を聞いてくれたのでヘビスは意気込んで話し出した。
「それがな!買い出し終えて街をぶらぶらしとったらルゥ見つけて、わい声かけようとしたんやけど……。
突然どっかからわいて出たごっつい男に誘拐されてしもたんや!!」
「な、なななななななんですってええええ!??」
モモカが大声を上げた。近くにいたハザードが思わず耳を塞ぐ。
「あー…ルゥってあのエルフっ子か。大丈夫、なんとかなるなる」
「なんでそんな冷静でいられるの!?人身売買の奴らかもよ!?なに考えてんのよ!
ヘビス、なんでそいつ捕まえなかったワケ!?あんた何やってんのよ!!」
「そ、そんなこと言われたって…わいだって追いつこうとしたけど
人混みに邪魔されて助けに行けなかったんや…」
「なんですって!?そういう時は人轢いてでも行きなさいよっ!!」
「うるさい」
クラウドの静かな声にぴたりとモモカとヘビスの声が止まる。
彼は壁に立てかけていた剣を取り、ヘビスの横をすり抜けざまに言った。
「俺が行く。必ず助けてくるから待ってろ」
「で、でも!ルゥをさらった奴が誰だかわかるんか!?」
「だいたいの見当はつく。町はずれに盗賊の住処があると船長に聞いた。たぶんルゥはそこだろう」
そう言ってクラウドは部屋を出ていった。
しばらく経った後に、ふいにモモカがハザードに質問を投げかけた。
「…いつそんなこと話したの?」
「ついさっき。ロティのことをいろいろ知りたいって言ってたからな〜」
「でも助けられるんか?もし助けられなかったら…」
「あんたは弱気すぎ!あいつも必ずって言ってたでしょ!?少しは信じなさいよッ!」
次の瞬間、彼女の肘鉄がヘビスの頭に炸裂していた。
◆
街外れの小高い丘。そこに一軒の館が建っていた。
残暑になるとよく子供らが肝試しに来るようだが、一般的にここは立ち入り禁止になっていた。
その館の中のひとつの部屋に、ルゥは捕らえられていた。
「どうして……私を誘拐したの?」
ルゥは目の前の三人の影に問うた。二人の男性と一人の女性に。
「お嬢ちゃん、そんなのアンタがいちばぁんわかってるだろう?」
先ほどルゥを眠らせたごつい男が嘲るように言った。
腰まであるかと思われる、ウェーブのかかった茶髪の女性も続ける。
「最近の新聞に載ってたわ。ティムライト王国の王女が、霧のように消えちゃったって。
特徴は、綺麗な銀髪に空より海よりも綺麗なブルーアイ。あんたそのまんまじゃないの」
「こんなところに王女がいるわけないじゃない!」
ルゥの言葉に小柄なそばかすの男が眉をひそめた。
「なぁ、こいつ本当にウンディーネ王女なのか?噂とは全然違うぞ?」
「うーん…そうだなぁ。少なくとも、アレだ。こいつは金にはなる。
人身売買とか、どっかのマッドサイエンスに実験体として差し出してもいいしな」
「殺人中毒の奴に売っぱらうってのもいいわよ。
どっちにしろ、物凄い美少女には変わりないんだしね」
「ッ…」
彼女は思わず言葉を失った。
クラウドに再会することもできず、こんなところで自分の人生をめちゃくちゃにされるわけにはいかない。
(なんとか、なんとかこの人たちから逃げなきゃ…)
といっても、今ルゥは縄で柱にくくりつけられている。
ルゥは馬鹿力など持ってはいないし、もし持っていたとしてこの柱ごと
引っこ抜いてしまったら、この館自体崩壊するだろう。
そんなことをしたら自分の身が危ない。運が良くて複雑骨折だろう。
三人の男女が彼女の利用法を話し合っていたその時だった。
「!…ちょっと待って」
「?」
「どうしたんだよ?」
「誰かいるわ……」
「なっ……」
「まさかこいつを助けに!?」
三人がいっせいにルゥを振り返った。だが彼女はぱちぱちと瞬きをするばかり。
「ふん、どうせ大した奴じゃないわ。一人しかいないしね」
「三対一でこっちが有利だ!」
ごつい男が自分の掌に拳を押し当てた。小柄な男もうなずく。
「そうそ。返り討ちにしてやればいいさ!」
「しっ、来たわ…」
女性が唇に人差し指を押し当てた。すると、ルゥの耳にも足音は聞こえはじめた。
こちらに向かっているのか、徐々に大きくなっている。
すらり、と男たちが剣を抜いて扉の両側に立った。扉を開いた途端に斬るつもりだ。
足音が止まった。
ドガアアアアアアアアアアアアン!!!!
「え!?」
「な、なんだあ!?」
「壁が……」
何かものすごい轟音が上がったかと思うと、扉ごと壁が吹っ飛んでしまった。
瓦礫が四方に飛び散る。もちろんルゥも無事ではいられない。
小さな瓦礫がルゥの体に直撃し、少々ながらもダメージを負う。
あの男女らも同じような状況らしい。砂煙の向こうで鋭い悲鳴が上がっている。
やっと瓦礫の嵐が収まったかと思うと、もうもうとあがる砂煙が彼女を包んでいた。
視界が黄土色に染められたうえに目にごみが入り、気管に煙が入って咳も出た。
「大丈夫か?」
ルゥのすぐ近くで聞いたことのある声がした。
「あ…!」
特徴のある瑠璃色の瞳に、真っ黒なバンダナ。クラウドである。
どうやったのかはわからないが、彼が壁を吹っ飛ばしたのだろう。
縄をほどきながら、彼はもう一度ルゥに問うた。
「大丈夫か?」
「う、うん。でも、どうしてここが?」
「お前が誘拐されたってヘビスが教えてくれたんだ。ここの場所は船長に聞いた」
「船長さんたちが……。で、でもどうして私を…?」
「お前は一応同じ船の船員だしな。それに……いや、あとで話そう」
縄がほどけて、ルゥの体に自由が戻った。
ふと見れば彼はもうすでに立ち上がっており、男たちのいる方向に向かって何事かを呟いている。
微かに耳に届くそれは、彼女にとって聞き慣れたものだった。
(魔法詠唱!?)
クラウドが魔法詠唱を終え、呪文をかけたと同時にもうもうと砂煙は晴れていく。
砂煙の晴れた先には――――
「…あ…」
男達の動きが止まっている。呪文の効果か、その空間だけ時が止まったようだった。
「相手の動きを止める時空魔術だ。……といっても、短時間だけどな。
行こう。走れば魔法が解けた頃にはもう追いつけないはずだ」
クラウドはルゥの手を握り、そのまま部屋を出て館を飛び出した。
下り坂に入り2人が風を切り始めた時、ルゥはやっとのことで口を開いた。
「あの……ありがとう」
「大したことじゃない。無人の館の壁がひとつ吹っ飛んだだけだしな」
「でも……クラーケンの時も助けてくれたじゃない。まるで――――」
――――まるで、護るように。
駈け足の速度が緩やかに落ち、やがてぴたりと2人の足は止まった。
さわさわとそよ風が2人の頬を撫で、髪をなびかせる。
「……約束、しただろ?」
背を向けたまま彼は言う。
「…え?」
彼と約束などしただろうか?
ルゥにはまったく見当がつかない。
「――――やっぱり気づいてなかったか。その鈍さは変わってないな。
…俺の姓、モモカからは教えてもらってなかっただろ?」
ゆっくりとこちらに向く瑠璃色の瞳。
彼は彼女の手を離すと額のバンダナに手をかけ、しゅるしゅるとそれをほどいた。
「俺の姓はルーベメル。クラウド・ルーベメルだ」
「…!!」
露わになった彼の額。
そこには、見覚えのある大きな傷跡が確かに存在していた。
「ク…ラウド……?」
知らぬ間に、ルゥの頬には暖かいモノが伝っていた。
それは静かに、ぽろぽろと彼女の頬から滴り落ちる。
「五年も待たせてごめん。お前を護るためには強くなきゃいけなかったから……」
「ううん、いいの。こうして、無事でいてくれたんだから…」
ルゥは穏やかに微笑んだ。泣くなよ、と言いたげにクラウドはルゥの涙を拭う。
「おかえりなさい」
「…ただいま」
そしてまた、クラウドも穏やかな微笑みを浮かべるのだった。
◆
数時間後。
モモカは船長ハザードの娘である。だが決して甘やかされてはおらず、父の船でもきちんと自分の仕事をこなしていた。
彼女の仕事は、船員たちの食事を作ること。
もちろん数十名いる船員たちの食事を、モモカひとりで作っているわけではない。
他の女性の船員や手先が器用な男性の船員、それから船長直々の命で三日ほど前から新しく船員となった彼女――――
正式な船員ではなく、ティムライトへ帰るまでの仮の船員ではあるが――――ルゥたちとともに作っているのだ。
正直言えば、ルゥはお世辞にも上手と言える方ではなかった。
包丁でにんじんを切ろうとすれば指を切りそうになるし、
鍋の火加減は間違えるしでまったく料理慣れしていないようだった。
だが物覚えはよく、やり方さえきちんと教えれば、次からは間違えることなく作ることはできた。
……包丁さばきはいまだに危なっかしくはあるが。
ちなみに食事時は一回目はモモカとルゥが盛るが、二回目以降……つまりおかわりは
食事係にあたる船員たちも食事をとるためにセルフサービスとなっていた。
ようやく自分が食べる番となり、モモカはやれやれと椅子に腰を下ろした。
まずはスープを口に運ぼうとスプーンを手に取った時、
モモカは目の前の光景に思わずその手からスプーンを滑り落としてしまった。
なんとルゥとクラウドが一緒に食事をしていたのだ。いや、それだけならまだいい。
一番驚くべき箇所は、あの堅物(とモモカは思っている)が楽しそうにしているのだ。
クラウドはまだこの船で働きはじめてから三週間も経っていない。
彼は仕事にも人間関係にも慣れていないためか、まだ柔らかい表情というのをほとんど見せたことがなかった。
だが、目の前の光景はどうだろう。
柔らかい表情を見せたことがほとんどなかった彼が、この船で働きはじめてから
一週間と経たない少女と談笑しながら一緒に食事をとっているではないか。
いったい彼の身に何が起こったのかと、食事もとらずにモモカは悩んでみた。
一番有力なのは、今日の誘拐事件。
クラウドは船を出てわずか一時間でルゥを救出してしまった。
その後すぐに二人はそれぞれの仕事に取りかかったため、ここで接点はなかっただろう。
とすると、クラウドがルゥを救出するのにかかった時間。恐らくその一時間の間に二人の間に何かあったに違いない。
にやり、とモモカの口元が歪んだ。
(なァるほどね……もう"そんな関係"になったワケ)
原因がわかったところでスッキリしたモモカは食事を再びとりはじめた。
スッキリどころか、これからしばらくはあの二人で遊べそうだとわくわくしはじめる次第であった。
……モモカが想定した"そんな関係"と、二人の本当の"そんな関係"はいまいち違うものなのだけれど。
◆
ぼんやりとした薄暗い石畳の部屋。
部屋の奥には天井から大きな布が垂れ下がっており、向こうに佇んでいる人物を影という形で映し出していた。
そして、その影にひざまずいている黒い影。ぽそり、とそれは呟いた。
「また誰かの暗殺…だろう」
「正解だ」
人影はにやりと口元を歪ませた。人影がぱちんと指を鳴らすと、布の近くにて
同じくひざまずいていた男が一枚の紙を黒い影に手渡した。
それには一人の少年の写真と名前、それ以外にも色々な情報が詳しく書かれている。
少年の特徴は金髪にくりくりとした薄茶色の瞳。名は――――
ヘビス・ウォーレス
「そいつはとある貨物船で働いている。その貨物船というのが少々ムラがあってな。
依頼があればすぐさま航路に乗るものの、特に依頼がなければ船長の自由で
様々なところへ航海しているらしい。……一見、捕まえるのが困難に思えるだろう?」
人影の疑問符に黒い影は答えない。押し黙ったままである。
しかし、それにはまったく構わず人影は続ける。
「だが、うまいことに今は航路に乗っている。次の行き先は港町タントゥだ。
船は用意してある。準備が整ったらすぐに向かえ」
「どうして暗殺するんだ?」
黒い影が先程手渡された紙を見て、呟いた。
「今までの標的には、ちゃんとここに理由が記されてあった。
それが今回は空白だ。これは一番重要なのだろう?」
黒い影の問いに、人影は答えなかった。それとも、答える必要はないと思ってのことか。
「……まあいい。私は命令に従うだけだ」
黒い影は立ち上がり、着衣をひるがえして素早くその場から去っていった。
「ドレット様」
先程黒い影に紙を手渡した男が、人影の名を呼んだ。
わかっている、とドレットはまたもや口元を歪ませた。
「奴はこの組織で一番の腕だ。だが……二番の腕の奴らを五人ほどやらせろ。運がよければ殺れるだろう」
「では……」
「ああ、計画を実行する」
もし奴らが失敗しても、奴は命令を忠実に遂行する。
今までの実績を見れば、あの少年を殺すことなど赤子を殺すことに等しいだろう。
奴は、我が理想を実現するにあたって大きな障害になる。
悪いが――――
「奴を、殺せ」
消えてもらうぞ、黄泉よ。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
あとがき
はい、第二話終了ですー。
モモカ初登場。それから最後の方にちろっと黄泉も登場していますね。
ヘビスは黄泉に命を狙われることになってしまいました。
しかも暗殺する理由は空白です。なにか仕組まれていそうな雰囲気ですね。
それは次回で明らかになることでしょう。
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