種族は大きく3つに分かれる。人間、獣人、そしてエルフ。
人間は偏見と差別を最も好む種族。よって自分たちとは大きく違う獣人を忌み嫌い、傷つけた。
獣人は偏見と差別を最も嫌う種族。よって人間たちとは大きく反発し、争い合った。
そしてエルフは秩序を重んじ、平和を愛する種族。よって争いには加わらず、中立の立場を貫いた。
小さな諍いを繰り返し続ける人間と獣人。そのたびに諫めるエルフ。それは微妙なバランスを保っていた。
しかしその均衡はいともあっさりと破られてしまう。

ある日のことだった。人間族のある男は成長途中の胎児を見てみたいという、あまりに突然すぎる衝動に駆られた。
それだけのことならば図書館にでも行って医学書を手に取れば事は丸く済んだものを。
あろうことか男は通りすがった獣人の妊婦の腹を包丁で裂き、結果的には彼女を斬り殺してしまった。
このことがきっかけになり、今まで積み重ねられてきたお互いへの憎悪が爆発。
月華暦660年、ついに人間と獣人の間で大戦争が勃発してしまう。
戦争は決着が着かないまま長引くだけ長引き、やがて獣人はもとより争いを好む人間でさえ
20年と長く続く戦争にうんざりしていた。経済的にも精神的にも、いい加減限界を超えていた。

680年。人間族の王は獣人族の王に使いを出す。
獣人族の国にて侮蔑の視線をまみれ、罵詈雑言にさらされながらも使いの男は獣人族の王に跪いた。



「獣人族の王よ、我ら人間族は和解を申し入れます。
人間族は既に疲れ果てました。もう醜い争いはやめに致しましょう。
このままではお互い苦しむだけでございます。どうか、どうか我らからの和平を受け入れていただきたい……」



王直筆の手紙を受け取ると使いの男は己の王のところへと風のように舞い戻り、
そして歓喜に声を震わせながら終戦を報せた。



「獣人たちは快く和平を受け入れてくださいました!遂に戦争は終結致します!」



こうして、長い長い戦争は幕を閉じた。ようやく平和が訪れるかと思われたが、既に手遅れだった。
人々の肉体と精神は傷つき、荒み。街には悪意が満ちていた。戦争を長引かせた結果である。
このままでは戦争を終結させた意味がない。3つの種族はばらばらのままだ。
戦争が終結したといっても、お互いへの偏見がなくなったわけではないのだから。



ひとつ、大国が必要である。



だが人間や獣人がそれを治めようとしても、また以前のように戦争が起こりかねない。
そこで中立関係にあったエルフにその大国を治めてもらうということになった。
それは、人間も獣人もエルフも一緒に暮らすという今までに前例のない国。
種族などまったく関係なく、平和に暮らしていけるように。
それが今のティムライト王国である。






だが、このことを良く思わない者も当然存在するわけで。






965年現在と同じく、ガダイ帝国は鎖国状態にある。
人口は2500万ほど。そのほとんどは人間である。獣人やエルフは皆無に等しい。そのため欲深く、争いを好む人間も多い。
特に支配者であるガダイ王5世は、帝国の中で最も欲深く争いを好む醜悪な人間だった。
軍を捨てるよう説得をしてもまったく話を聞かず、そのうえ隣国ルダイ共和国や
ラシア大陸のファーセル国と何度も争いを繰り返していた。
そうしたこともあったため、世界から戦争を失わせることは難しくなっていった。




長い長い時が過ぎ、944年。ティムライト王3世や他の国々の王たちの努力はついに実を結んだ。
ルダイ共和国をはじめとする国々が軍を捨てることを約束してくれたのである。

残るはガダイ帝国のみ。

戦争を仕掛ける相手がいなくなったためか、それとも戦争に疲れ果てたのか。
月華歴965年2の月。説得を固く拒んでいたガダイ33世が亡くなり、その息子である現在の34世が跡を継いだ。
ついに帝国は軍を捨て、開国を宣言。さらにはティムライトと和平を結び、ルダイと友好を結ぶことを約束したのだった。




















だが――――悪循環は終わらない。
確実にゆっくりと、世界は胎動しているのだ。






















































カミノウタ



第1話

−God Song−


































広い部屋の窓枠に一人の少女が腰掛けていた。
雪のような白い肌に空よりも青い瞳。濡らしたかのように艶のある流れるような銀髪。
エルフの証拠とも言える尖った耳には赤い球状の小さなイヤリングが揺れている。
額には水の紋章が宿っており、光に反射してきらりと煌めいた。
歩きにくそうなドレスに身を包み、ぼうっと外の景色を眺めている。
頭に小さなティアラを乗せていることからして、彼女は王女だろうか。


「―――――めさま、姫さま」


と、少女の背後にいた年老いた男が彼女を呼んだ。
しかし声が届いていないのか、彼女はぼうっとしたまま。


「ウンディーネさま!」

「な、なに!?」


何かを深く考え込んでいたのか少女は目を見開いて老人を振り返った。


「…まったく、姫さまはこの頃ぼーっとすることが多いですな。
次期女王となる方がそのようなことではいけませんよ」

「ご、ごめんなさい」


ウンディーネは老人に一言謝り、窓枠から下りて近くの椅子に腰掛けた。


「“また”…クラウド殿のことをお考えに?」

「…ええ」


少し間があったものの彼女は頷く。
老人は溜め息をつき彼女を説得するように語りかけた。


「…姫さまには、もっとふさわしい殿方がおられるはずです。
もう、あの方のことはお忘れなされ。いつまでも待っていてもしかたがないのですよ」


ウンディーネは静かに首を振った。さらりと銀髪が流れる。


「私だって、忘れられるのならば忘れたい。でも…」

「…忘れられないのですな」


こくん


「私は……彼に好意を抱いているのかもしれない…」

「いつ帰ってくるかも…わからないのですよ?それに彼とは、身分も種族も…」


老人の言葉に彼女は答えなかった。
しばらくの沈黙のち、ただ一言。


「…お願い、一人に…」

「…かしこまりました」


老人は返事をすると、すっかり禿げ上がった頭を下げた。
大きな扉が音を立てて閉じられる。
























広がる静寂の中で、ぽつりと漏らされる言葉。




























「会いたい…」


















一筋の涙と、一緒に。



































夜露が葉脈を滑る頃、ウンディーネはなにやら自分の部屋でごそごそしていた。
あのドレスから動きやすそうな服装へと着替えていたし、
頭に乗せていたティアラも机の上。
手元には鞄が口を開けすでに下着類などが詰め込まれている。


彼女は探そうとしているのだ。 ……彼を。


ウンディーネは彼のことをもう既に5年も待っている。
ここまで年月が流れればさすがに心配になるだろう。

見つかる、という保証はない。

それでも彼女は、探そうと決意を固めたのだろう。…と。


「…」


荷物をまとめる手がぴたりと止まった。その手は何分経とうと動く気配はない。

決意が…揺らいだのだろう。
決意は固めるためにあるが、それもまた揺らぐためにある。


彼女は今、唯一この城で頼れる王族なのだ。


第一王子であるアメットは魔法実験に失敗して人間ではなくなり、不治の病に襲われた国王は日に日に力が衰えていく。
この状態がこのまま続き、ましてや王が亡くなれば……ウンディーネ女王の誕生、ということになるのは確定だろう。
だからこそ、今一番にウンディーネは頼りにされている。自分の勝手な都合で城を抜け出せばこの王国は大変なことになってしまう。


(やめよう。お父様やみんなをこのままにはしておけない…我慢しなきゃ)


一度準備が整った鞄の口を再び開け、タンスに逆戻りさせようとしたその時だった。


「こんばんは」


声が響いた。

高くも低くもない、通りの良い不思議な声。
ただひとつわかるのは…それは子供の声ということだった。


「だ…れ?」


彼女の問いかけには答えずに。
ピエロのような格好、化粧をしたその子供はにこりと微笑んだ。


(よいですか、姫さま)


不意に、彼女に棒術を教えた師の言葉が記憶として甦った。


(相手から殺気が感じられずとも、怪しい輩であれば棍をお構えになってください)

(世の中には…溢れる殺気さえも断ってしまう強者もいるのです)


師の助言に従い、彼女は得意とする棒術で使う棍を手に取っていた。


「何しに、来たの…?」


ぽそりとつぶやくように、彼女は訪ねた。


「望みはなんですか?なんでも差し上げましょう。ただし手に入れたら早々に…」

「目的は、君だよ」

「…!?」


ウンディーネは目を丸くした。
まだ年端もいかぬ子供が自分を連れ去ろうと言うのだ。
もし、子供が自分より強者だとしても…自分に連れ去ることに何か意味があるというのだろうか?


「なんで…何のために私を連れ去るの?あなたは、いったい…」


問いかけに子供が目を閉じると同時に、彼女は警戒心からかじり、と後退りした。



「…歴史に残る、世界を巻き込む大きな戦いがはじまるんだよ。もう時間がないんだ。

戦争が残すのは大きな傷跡と…怒りと憎しみと悲しみ…それだけ。何も得られない。

君はその戦争を止められる鍵のひとりだよ。そして君を守ろうとする彼も、ね」



ウンディーネはますます目を丸くした。
子供の言うことが全く理解できなかったからだ。


それもそうだろう。
今ではそんな事は有り得ないことなのだ。


軍事国家を持っているのはもうガダイ帝国のみのうえ、すべての国は協和条約を結んでいる。
それについ先日、ガダイ帝国はもう軍事は捨てるとガダイ王34世が直々に宣言したのだから。
そのことを知ったうえで、ウンディーネは声高々に叫んだ。


「信用できない!大きな戦争が始まるって…何の根拠があってそんなこと!
あなただって知ってるでしょう!?ガダイ帝国はもうまもなく軍事を捨てるって!!
それに私はこの国の第一王女!お父様の許可なしにここを出るわけにはいかないの!」


とても小さく、子供は溜め息を吐いた。
窓から赤い絨毯が敷き詰められた部屋へと降り立ち、武器を構えるウンディーネを真っ直ぐに見つめた。


「そんなに警戒しなくてもいいよ」


子供は彼女に歩み寄り、ふわりと包み込むようにその手を握った。
彼女はその手を振り払おうとしたが…どうしたことか。


(!?目が…)


何かの術だろうか。子供から目がそらせず、ウンディーネの体は見えない力に束縛されてしまった。
不思議な雰囲気と微笑みを浮かべたまま、子供は言葉を紡ぐ。



時の神よ 我を包み、慈愛に満ちた大地へと運べ




(この呪文…!)


うろ覚えな記憶をたどり、子供が唱えた呪文を思い出そうとするウンディーネ。
文言から察するに、おそらく移動系の呪文であることは確かだろう。

だが…


(…なんだったっけ…?)


彼女は引っかかった記憶を取り出せることなく、呪文特有の眩しき光に包まれた。

















































(ん…)


差し込んでくる光が彼女の顔を照らしている。
それが違和感となりウンディーネを目覚めさせた。
彼女はゆっくりと目を開ける。
視界がぼやけて周りがよく見えない。


(…もうすこし…)


眠たそうにゴロンと仰向けに体勢を変える。
時間が経つにつれて視界が徐々にはっきりとしてきた。


(え!?)


飛び込んできたのは木製の天井。しかも今自分がいるのはベッドの上。
何がどうしてこうなったのかわからぬまま、ウンディーネは懸命に記憶を探った。


(そうだ…昨日、変な子に…)


昨夜起きた出来事を全て思い出し、それから彼女は辺りを見回した。


(どこかの家の部屋…ではなさそう。城の中でもないし…)


今ウンディーネがいる部屋はまったくもって知らないところだった。
木製の壁に木製のベッド。この部屋ほとんどが木で作られているようだった。
耳を澄ませば波の音が聞こえる。


(まさか…)


不安を抱えながらも彼女は立ち上がりベッド付近の窓を開いた。
そこは海。青い青い空にはかもめたちが鳴きながら心地よさそうに泳いでいた。
…まだ大きく見えるものの、徐々に港から離れて見えるのは気のせいではないだろう。


「…やっぱり、ここは…」


ガチャ。


予想だにしなかった物音に驚き、条件反射で音の発生源の方向を振り向く。


「お、もう目が覚めたみたいだな」


部屋に入ってきたのは野性的な笑顔にたばこをくわえた男だった。
二十代前半くらいで燃え上がるような赤毛。
ぱっと見野蛮に見えるが、優しい緑の瞳がそれを中和していた。


「お前昨日の夜、港で倒れてたんだぜ?まったく驚いたよ!
…ん?もしかして警戒してんのか?大丈夫大丈夫!何もしねぇよ!」


男は気楽そうに言うものの、やはりウンディーネは警戒している。
そしてまず、一番最初に浮かんでいた疑問を男にぶつけてみた。


「あの、ここはもしかして…船の中、ですか?」

「おう。もう何十分か前に出航したけどな!」

「え――…ええっ!?」


船の中ということは、この赤毛の男はここの船員なのだろう。
身元不明の少女が乗っているっていうのにそんな非常識な……と
のんきに笑っている男に彼女は言おうとしたが、その前に男が口を開いた。


「あ、そうそう!これお前のだろ?」


男は持っていたのは一本の棒…ではなく真っ白な棍。それと見覚えのある鞄。
ウンディーネの物に違いない。


「まっさかあんたが棒術使えるとはなー!それにこの荷物!」

「え、ええ。その……た、旅にでも出ようと思って」

「ふうん……。まあどっちにしろ、女の子の一人旅なんて危険だぜ?
やめておいたほうがいいんじゃねえか?」

「……あの、もう船は港から出てしまったんですよね?申し訳ありませんが…」


王国に戻っていただけないでしょうかと言いかけた時、船体がガタンと大きく揺れた。
当然のごとく二人は大きくバランスを崩し、男といえばその場に尻餅をついてしまった。
男が悪態をつきながら立ち上がった時、再び部屋の扉が大きく音を立てて開いた。


「大変や!クラーケンが出てきよったで!!」


扉を開けたのはくりくりとした薄茶色の瞳と金色の髪を持ち合わせた少年。
かなり慌ただしい様子で、一気に走り抜けてきたのか息は激しく切れている。


「クラーケン?んなもん珍しくもねえだろ」

「ちゃうちゃう!!今、物凄い揺れたやろ?」


クラーケンというのは一言で言えば大きなイカの化け物だ。
異常と言えるほどの大きさになってしまったイカが凶暴化し、人間を襲い始めたと
言われているモンスターである。通常ならば、10〜15mほどの大きさのモンスターだ。
少年の様子を見ると、今回は格が違うのかとウンディーネは感づいた。だが……


「ああ、そうだけどよ。航海をしてればあんぐらい揺れることもあっだろ」

「…つまり、今回のクラーケンはすごく大きいんですよね?」


鈍いと言われるウンディーネまで気付いたというのに、男はまったく気付かない。
気を利かせた彼女の言葉に少年が大きく頷いたのを見て男はやっと事態を理解したようだ。
さすがにやばいと男が慌てた声でクラーケンの大きさを訪ねてみれば
少年はすっかり呆れた様子で30mほどだときっぱりと答える。


「なッ…そんなにでかいのかよ!?んなの相手にできるわけねーだろが!!」

「遭っちまったもんはしゃあないやろ!?とにかく早く来ぃや!!」

「ちょっ、ちょっと待てよ!今は誰が戦ってるんだ!?」


急いで部屋を出ようとする少年をアリヤとやらは呼び止め疑問を投げかけた。その疑問に少年は即答する。


「いまんとこは船長とあの新入りだけや!あとの船員たちは船室ん中に避難しとる!」

「へぇー、あいつ戦えたんだな!」

「そや、なかなかの腕っぷしやで!って、今はそんなことどうでもいいやろ!
だからアリヤ、お前も早く来ぃや!わいも後から行くから!!」

「おう!!」


アリヤと呼ばれた男は部屋に響く声で元気よく返事をする。
それと同時に少年は部屋から駆け出し、アリヤはうっし、と気合いを入れた。


「さあて、お嬢さんはここで待ってろよ。
凶暴でその上でっけえモンスターがいる甲板に、か弱い女の子を連れてくわけにはいかねえからな!」


腰に携えていた鞭を解き放ち、彼はほんの小さな声で決まったとつぶやいた。
だがそんなアリヤの言葉を吹き消すかのようにウンディーネはさらりと口を開く。


「いいえ!私も行きます!」

「い、行くって…お嬢さん戦えるのか?」

「城の近衛兵を一撃で倒すくらいの実力はあります!」

「ふうん…」


彼も最初は疑いの眼で見ていたものの、やがてニヤリと笑うとこう言った。


「ま、そんぐらいの実力もありゃ十分だ!びびって泣き出すんじゃねえぞ!」

「こ、子供扱いしないでくださいよ!」

















































ウンディーネとアリヤが甲板に着いた時、ちょうど“せんちょーアンタはエライ!”と
殴り書かれている帽子をかぶった黒髪の中年男が高く跳び上がり
槍の鋭い刃先を目の前の巨大な敵に突き刺していたところだった。
痛そうな咆哮をあげるも、あまり効いていないのかクラーケンは長い触手を振り回す。


「ありゃ?なんだよこいつは…オレ様のジャンプ攻撃が効いてねえとはなかなかしぶてえ野郎だな!」

「おーい、せんちょー!」


アリヤがタイミングを見計らい中年男を呼んだ。振り返った直後に男は吐き捨てる。


「遅かったじゃねえかっ!とっとと手伝えぃ!!」

「へーへー、わかりましたよ!ついでに言っておくけど、昨日拾ったお嬢さんも戦うそうだぜ!」

「ナニぃ!?お嬢ちゃん、あんた戦えんのか!?」

「はい!足手まといにはなりません!」


棍を構えたウンディーネを見て、ほほうと不敵に笑みを浮かべる船長。
ところで船長よぅ、と前置きを入れてアリヤがきょろきょろと辺りを見回した。


「あの新入りはどうしたんだ? まったく姿が見えねえぜ?」

「あいつはちゃっちゃとやられちまって今頃海の底だ!
あいつにゃあ悪いが助ける暇なんてないから自分で浮き上がってくるのを待つしかねえな!」

「はあ!?もし浮かび上がってこなかったらどうするつもりだよ!?」

「そんときゃそん時で、あいつには運と根性がなかったってことだ!」


アリヤの回答にすいすいと答えながら、船長は高く跳ぶ。そしてスペアの槍を構えた。

だが…


「っぐ!!」


長い触手を伸ばし、クラーケンは素早く船長の身体を捉えた。
最悪の場合、あのまま絞め殺されて喰べられてしまうかもしれない。
彼も同じ事を考えたのか、クラーケンの触手から逃げ出そうと懸命に体を動かすが
体を動かせば動かすほど触手は更にきつく締めつけてくる。


(ど、どうしよう…このままじゃあの船長さん…)


ここから飛び込んでいっては船長の二の舞になるだろう。さすがに無謀すぎる。
アリヤの方を見るが彼も同じようなことを考えているらしく、鞭を持ったまま額に冷や汗を浮かべていた。
船長の自慢の槍も今はただ空しく彼の手に収まっているだけ。



残された手段はひとつ。



しかしこの手段は船長にも危険が及ぶかもしれない。
だが彼を助けるにはこの方法しか残されていなかった。
選択の余地はもはや、ない。


「アリヤ……と呼ばれてましたよね」

「ん?おう」

「アリヤさん、下がっていてください。…できるだけ後ろまで」

「…っておぃ、何するつもりだ!やめとけって!!」


アリヤの呼び止めをまともに聞きもせず彼女は前に進み出た
ぴた、と足を止めるとゆっくりとウンディーネは振り返る。


「死にたくなかったら、下がってください。……巻き添えを食いますよ」

「わ、わかった」


先程までの彼女とは違うと感じ取ったのか、アリヤは素直に従った。
ウンディーネはそれを確認したうえで両手をクラーケンにかざし、目を閉じる。



炎を司る神よ、邪悪なる者を汝の聖なる炎で焼き尽くせ





ヴォン…





妙に低い音とともに彼女のかざした両手に赤い光が集まっていく。
ぐっ、と腹に力を入れて彼女はすべてを解き放つように叫んだ。





「ファイア!!」






ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!






ウンディーネが叫んだ途端赤い光は凄まじい炎と姿を変えクラーケンを襲った。
クラーケンは一気に火の海に包まれ苦しそうに叫びを上げる。


「…な…なんてこった…」


アリヤは目を皿にした。
ウンディーネが魔法を使えるということにも驚いていたが、彼女の魔力の強さにも驚いていた。

ファイアといえばコールド、ボルトに続く代表的な低級攻撃呪文。
しかしウンディーネが放ったファイアは上級攻撃呪文の威力を軽く上回っていた。
ふと気付けば、先程まで自分が立っていたところにまで炎は行き届いている。
ウンディーネの忠告がなければ今頃火の海に包まれているところだっただろう。


(エルフは魔力が強いとか聞いてたけどよ……ここまですごいもんなのかよ!?)


「うわっち、あちちちちちちっ!!」


とそこへ、少し柄が焦げた槍を持った船長が転がり込むようにこちらに避難してきた。
どうやらクラーケンの触手の束縛が緩んだ隙に逃げ出してきたらしい。

「船長!大丈夫か?」

「な、なんとかな…死ぬかと思ったぜぃ……。
それにしてもあの娘っ子はなにもんだ?あれ、ファイアなんだろ?
エルフだとしても明らかにおかしいだろうがアレはよ!」

「どっちにしたって大きな戦力だ!ほら、クラーケンも参ってるぜ!」


アリヤは真っ直ぐにクラーケンを指差した。中年男がその指先をたどっていくと、
そこには炎に包まれ苦しそうにもがいているクラーケンの姿があった。


「おっし、後一息だっ!」

「いや、ちょっと待った…なんか娘っ子の様子がおかしいぜ?」


船長がぼそりと言った。
確かに、彼女の足下はふらふらしている。額には汗が浮かびその表情も辛そうだ。


「魔法力の使いすぎじゃないのか?」

「そうか!魔法は精神力を浪費するってなんかで見……ん?」


何か違和感を覚え船長は言葉を止めた。まさかという思いを抱え後ろを振り返る。


「し…新入り!?」

「あ、お前生きてたんだな!」

「……何が"オレ様の槍さえあればクラーケンなんかイチコロだ"?
思いっきり苦戦してるじゃないか。そのうえ病み上がりの女に戦わせるとはどういう了見だよ?
おまけに俺を海に突き落としやがって…。ったく、本当に呆れた船長だな。
この落とし前、きちんとつけてくれるんだろうな?」

「そ…その話は後だ!今はとにかく、あのクラーケンをどうにかしてくれ!」

「はぐらかす気かよ?……まあ、船を壊されちゃ元も子もないか」


船長たちに"新入り"と呼ばれる少年は近くに転がっていた剣を拾う。


「可愛い女の子の前だ。かっこよく決めちまいな!」

「余計なお世話だ!」


船長のヤジを軽く受け流し、少年は素早く駆け出した。



























(早く…倒れて…)


何度そう祈っただろう。

上級呪文を軽く上回っている激しい炎に焼かれ続けてもクラーケンはまだ倒れないのだ。
ウンディーネの魔法力はとっくに限界に達していた。
気を抜けばすぐに炎は消えてしまう。そうすれば再びクラーケンは暴れ出すだろう。
だが彼女はどこかへ遠のきつつある意識を呼び止めているのが必死だ。


(もう…だ、め……)


炎が消えた。


二、三歩と足はふらつき空を仰ぐように倒れ込んでしまいそうになる。


「!」


突然、誰かに抱き留められた。

予想だにしなかった事態が起きて戸惑う彼女に、その誰かはつぶやく。


「後は任せろ」


小麦色の髪に額に巻かれた真っ黒なバンダナ。印象的な瑠璃色の瞳。
彼の右手にはすらりとした長い剣が握られていた。
ついでに言えば海に落ちた所為なのかあちこちに水が滴っている。
……しかし、この少年に懐かしさを感じるのは気のせいだろうか?


「え…あ…」

「こいつは俺が倒す。…あっちで休んでろ」


少年はそう言い残すと、単身クラーケンに向かっていった。
へなへなとウンディーネはその場に座り込む。


「お嬢ちゃん、大丈夫か!?」


とっさに船長たちがウンディーネに駆け寄り、傍らに座り込む。


「あの、人は…」

「ああ、一週間ほど前に入った新入りだ。
腕っぷしはいいみてえだが、これがなかなかの生意気な野郎で―――おぉい?」


アリヤが呼んだがウンディーネは上の空だった。
やがて彼女はゆっくりと立ち上がったが、少年が素早い動きでクラーケンに
確実にダメージを与えているのをただただ傍観するのみだった。


彼女は、見逃さなかった。


少年と顔を見合わせた時、彼の瞳の中で微かに動揺の色が見え隠れしていたのを。


























触手を何本か断ち切られてしまったクラーケンは雄叫びをあげた。
少年は触手が再生しないうちに次々とさばき、最後にはその剣でクラーケンを叩き斬った。
魔物は断末魔をあげその場に倒れ込み、しばらく痙攣していたが…やがて全く動かなくなり、絶命した事を知らせた。


「すごい…」

「あいつってばあんなに強かったのか!」

「まだ19なのになぁ。こりゃとんでもねえ逸材を拾っちまったもんだ!」


三人が感心してるのも無理はないだろう。

ウンディーネの魔法によってかなりの傷を負っていたとはいえ、
自分よりも大きさが数倍もあるクラーケンを倒してしまったのだ。

ここまで強くなるにはかなりの鍛錬が必要になる。


「おい新入り!お前って強かったんだな!」


クラーケンの処理を終えこちらに歩いてくる少年にアリヤは声をかけるが……


「別に…」


なんとも素っ気ない返事。
アリヤは拍子抜けしたように声を上げたが、表情は笑顔のままだ。


「まあしゃあねえか。まだ入ったばっかりだしなー」

「そだな。もーちっとしたら慣れてくるだろー」


などと船長とアリヤがほのぼのと和んでいたちょうどその時だった。



「クラーケンはどこやぁっ!!」



「「「「!?」」」」


突然の大声に四人は思わず振り返った。
するとそこにはあたりかまわずブーメランを振り回している先程の少年のなんとも情けない姿。
今頃来たのかよと呆れた声を出してアリヤは頭を抱えた。


「ちくしょーどこや!?海の魔物め出てこい!!このわいが退治してやる!!」


よく見れば少年の足は小刻みに震えている。声も震えていた。


「お前なぁ…来るならもっと早く来いよ!」

「しゃ、しゃあないやないか!わいの武器が見つからなくて難儀しとったんや!」

「ヘビス、足と声が震えてるぞ」

「ふ、震えてなんかないっ!お前は黙ってりぃや!!」


図星と思ったことを誤魔化すようにヘビスと呼ばれた少年は新入りの少年に叫んだ。
だがやはりその声は震えている。

ヘビスを除く全員の顔に笑みがこぼれた。


だが…


少年によって叩き斬られたクラーケンの触手が刃物に形を変えていき
ウンディーネに狙いをつけていることに誰も気づいている者はいなかった。


「そんじゃあクラーケンも片づけたことだし、ちゃっちゃと戻ろうぜ!」

「お、それ賛成!オレぁもう腹ぺこなんだ!」

「アリヤは何もしてないのになんで腹が減るんだ?」

「う、うるせぇ!人の腹にけちをつけるな!」


アリヤと少年の微笑ましい(?)会話を聞きながらウンディーネは微笑んでいた。
その笑顔を視界に入れた船長が無精ひげをさすりながら彼女の顔を覗き込む。


「さっきから思ってたが……お嬢ちゃんの顔ってどこかで見たような気がするんだが?」

「…え?」

「そういえばオレもどっかで見たような。あれは街中を走る馬車に乗ってた……」

「もしかしてお嬢ちゃん……あのウンディーネ王女さんだったりして?」


船長の言葉にウンディーネは思わず額に汗を浮かべた。
ばれた―――?彼女の脳裏に焦りが横切った瞬間、あの少年が口を開いた。


「二人とも考えすぎじゃないか?一国の王女とあろう者がこんなところにいるわけないだろ」

「そうそう、こんな船に乗ってるわけないやろ?
だいたいどうやって城を抜け出したっちゅーねん」

「まあそれもそうか。あ、自己紹介が遅れちまったな。オレさまはハザード、この船の船長だ!」


ハザードは両手を腰に当て誇らしげに言った。次にヘビスが満面の笑顔で名乗る。


「わいはヘビスや!情報収集したり買い出しをする役目をしとる!よろしくなー!」

「もう知ってると思うけど、オレはアリヤだ!狙撃手をしてるんだぜ!」


立てた親指で自分の顔を指し、アリヤはウィンクをした。
そして少年が名乗ろうとしたその時――


「俺は……、!」

「ッ!?」


彼は急に言葉を止め突然ウンディーネを突き飛ばした。

その直後――――



グサッ!!



少年の二の腕に刃物化した触手が突き刺さった。
触手がウンディーネを狙っていることにいち早く、気づき自分が身代わりになったのだ。
少年はなんとか"それ"を引き抜き、海に投げ捨てた。
引き抜いた途端、傷口から血が流れ滴り床に血溜まりができていく――――。


「くっ…」

「新入り!大丈夫か!?」

「お前、お嬢ちゃんをかばって…?」

「…それより、早く手当てしてくれ。思ったより出血がひどい」

「わ、わい医者を呼んでくる!!」


ヘビスは自分の足につまずきそうになりながらも慌てて船室に戻っていった。
突き飛ばされた反動で尻餅をついていた彼女は慌てて立ち上がり、ぺこりと少年に頭を下げる。


「ごめんなさい。私をかばうために、そんな大怪我を…」

「俺が勝手にやったことなんだから気にするな。それに怪我なんてしょっちゅうだ」

「でも、私が鈍感なのが悪いんです。……じっとしてて」


ウンディーネは少年の傷口にそっと両手をかざし、静かに癒しの文言を唱えた。
ふわり、と傷の周りを優しく癒しの光が包みこむ。

しかし、所詮は低級回復魔法。

完全に傷が塞がれることはなく、少しでも動かせば腕に痛みが走った。


「これじゃだめみたい。やっぱり、ちゃんとした手当てが必要かな」

「これだけ治れば十分だ。……ありがとな」


少年が照れ臭そうにウンディーネに礼を言った。
どういたしまして、と彼女はにこりと微笑む。

そうして医者を連れてきたヘビスが戻ってきたのは、それから五分後のことだった。






























何故子供は自分をさらったのか。

あの少年の微かな動揺はなんだったのか。






























すべての謎が解けるにはまだ、早すぎる。













































++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

あとがき

はい、第一話終了ですー。

謎の子供、不思議な感じ出てますかね?ちょっと不安だったり…。
あ、性別は全然決めてないです。名前は決めてありますが…。
性別は中性な感じにしようと思ってます。というか、何者かも決めてなかったりします。